ラクシュミ 〜221譜の讃歌〜





     『序章・楽園追放』  Maggiolata

















   ――『天の王と地の王』 序章

   大地は一人の者に委ねられていた。
   全知全能の創造主、『アテル(愛する者)』は、その彼の者に


   『慈愛』、 『祈り』、 『言葉』

   を与えることにより、 自らを絶対の存在として為す事を考えた。
   ‘アテル’は創造主たる自身に、対なる逆さの『地の王』の存在を確立させ
   『天地』二つの世界を手中に収めたかったからである。


   あまりに醜い『高天』からの移住を試みようとした計略だった。
   選ぶにおいて、『地の王』は特定の者はいなかった。
   当時大地は生まれて間もない頃の上、全ての命達は限りなく無垢であり無智だったのだから。

   操りやすく、従順な自分だけの『傀儡』が欲しかった彼は、一つの命を生み出した。
   彼の人は生まれながらにして、神の供物となった。

   その地の王の名は『ガイラ(抱く者)』。

   彼の人は『地の王』の役目を果たし、『創造主』を尊ぶ使命を当初は自負していた。
   創造主が『ガイラ』に束縛した支配は、あくまで『天を敬い』『人間の地の王を支配するもの』
   であり、人間ではなかった『ガイラ』は、創造主に従う者の域を超えていたのだ。
   地の王『ガイラ』は、人間以外の者だったのだ。

   彼と彼の一族は、人を超えた 真に地を支配する覇軍なのだ。


   《省略》


   『ラクシュミュト年代記 1巻』











   ――――それは魔法と機械が交錯した、未知と神話に縛られた人々の世界。

   ――――その世界に、出来るだけ多くの人に幸があります様に。





   ――――拙い詩を、彼らを生み出してくれた全ての人達へ捧ぐ。















   空の高さは広陵として、世界の全てを包み込む。
   飄々と鳥達が歌いながら羽ばたくのは、どの世でも同じ事なのだろう。
   飛ぶのは鳥だけではなく、鯨の如き飛空挺や翼の生えた動物が荷物を背負って駆け巡り、
   空には大小問わずに様々なモノが彼方此方に飛ぶ。
   何時もより混雑する空は、それは聖都の祝祭を世界中に告げるが為の事。

   鳥達が眺める先の遠く、それは高度に発展した文明都市。
   中央には高層且つ、拒絶を表すような冷たい鉄の建築物。
   それは城。 絶対的な強さと誇りを表す、権力者の館。

   縹や群青の宮殿の周りは無数にある鉄の建物、そして石造りの民家、街は蜘蛛の巣の様に疎らに続いてあるのだ。
   帝都の地形は空から見れば青く硬質的に見え、見る者を寄せ付けない威圧がある。

   が、今日は違う。

   高層な城の地上では、この街にはそぐわない花弁が道に撒かれて、大通りでは世界の支配者達が祝いの行進に出払っているのだ。

   支配者は帝都を中心に一国を占め、畏怖されている実質的な王室階級である。
   彼らの働きにより下級市民達の生活が守られている訳で、その彼らを帝国民が敬うのは当然といえば
   当然であるが、対極に嫌悪を抱いている者達がいるのも事実である。

   反逆者達は表通りに出たりせず、ひっそりと自宅か裏道でその日を過ごすのである。
   その日、彼らの行く所のどこにも居場所は無いのだから。



   盛大な祭りの最中、その祭りの裏方を密やかに作業場で行っている者がいた。
   帝都の中央の騒がしさは、住居区に近いこの場所には窓を開けているのにも関わらず掠れた程度しか聞こえない。
   窓側の木椅子に座り、黙々と一つの布に蒼い刺繍糸を通し、艶やかな華の川をその人は綴る。

   発展した建築と比べれば、この作業場はかなりの落差がある。
   石造りの壁には空いた穴を煉瓦で無理やり塞いだ跡があり、どちらにしろ不細工に出来上がっている。
   穴の隙間風が先程から少しずつ流れ、その人の肌にあたる。
   おまけに薄暗い。作業場としては悪条件なのだろう。

   作業をしているその人はその事に気にもせず、早い手つきで花を仕上る。
   繕っているのは若い女性、否、少女である。
   一人部屋の隅でひっそりと、作り続けている花の川に微笑みながら。


   少女は種族内にしては珍しい、透き通るような白い肌だ。
   光に指が当たれば、布には花と真珠が飾られているようで指は華奢で細い。
   右にある景色を眺めると、開けた窓からまた風が当たる。
   傍らにあるレースカーテンと共に、腰まである黒髪が靡いた。

   ふと、窓の景色から帝都の中央にそびえ立つ権力の象徴の彼らの館『宮殿』が見える。

   今夜、自らも其処へ出向くのだと思うと少々気がしまる。
   城の使いの者が何度監視し、調べ上げられた事か。
   ようやくそれが今日開放されると思うと、改めて仕事に精が入るものだった。


   その中、その作業場の廊下から急ぎ足の音がする。
   音は部屋の前で止まり、勢いよくここの扉が開いた。心臓が少し跳ね上がった。


  「あー! もう、こんな所にいた!」

   怒っている。 頬を膨らませてとても分かりやすい。
   少女は動かしていた指を止めて、扉の方へ顔を向く。

   肩で息を切らしているあたり、かなり走り回ったのだろう。
   黒髪の少女とは逆に、彼女は明るい金髪で褐色の肌である。
   彼の少女に、黒髪の少女は問うた。

  「マニカ・・何、急いでたの?」

   丸で鈴を転がすような声。
   やっと完成した刺繍付きの布を、丁寧に畳みながら黒髪の少女は周りの片付けをはじめた。

  「何って・・・あんたはさぁ、この暗ぁ〜い部屋で今日って日も作業してた訳?」

   黒髪の少女の作業に、マニカと言う少女はケチをつけた。
   マニカがケチをつけるのも無理はない。
   今日『地帝聖誕祭』の日は、一切の仕事・作業は安らがなくてはならないのだ。

  「今夜の王族の『夜会』・・私その日の踊り子の衣装を完成させなきゃならなかったし・・。」

   黒髪の少女は衣装を小さな丸い籠の中にしまって、裁縫道具を棚に戻す。
   マニカは言う。

  「バッカ! あんたあの貴族共に何そんなにマジメなのさっ!!」

   マニカは帝都の中心人物達を罵倒した。
   その言葉に、黒髪の少女はそれに反射的に振り返る。

  「今の事、他の人に聞こえてたら懲罰処分を受けるかもしれないのよ! 私達はただでさえ最下層なんだから、もっと・・・。」

   黒髪の少女は弱々しく諭した。
   マニカは不服そうだ。

   支配者達、王族などの階級のものは『魔族』という種族だ。
   黒や藍を好み、夜を謳い、支配思考の超生物。
   楯突く輩は徹底的に粛清され捕虜にされ、敵国だった者・反乱分子・降格など、彼らは打ち負け堕ちてゆくのだ。
   強制・略奪の上、使い捨ての傲慢な英雄。

   だから、マニカは彼らが嫌いだった。 大嫌いだった。


  「・・でもアイツ等のやり方、納得できないし・・・解り合いたくもないよ。」

   逃げともとれる様なその言葉に、黒髪の少女は言い返せなかった。
   同じ気持ちだったから。
   魔族の強制的な支配に不服なのは、いつも思っているから。

   暗い顔をして下を向いた黒髪の少女を見ると、途端にマニカは悪戯っぽく笑い言う。

  「平気だって!そんな顔しなさんな! もし聞いていたとしても天下の魔族様方が粛清施すほどの非常事態じゃないって!」

  「そうかもしれないけど・・・。」

   平手で黒髪の少女の肩を叩き軽く言うが、当の黒髪の少女は呆れて溜息をつく。


  「ところで、本当に何しに来たの?」

   話が随分逸れていた事に気がついて、黒髪の少女は言った。
   今度は、マニカが呆れて溜息をついた。

  「あのねぇ・・・一昨日からお祭りの出店を回ろうって予定立てたのに、誘った本人が半刻も来ないから、
   忘れてると思って作業場来てみたら・・・案の定よ・・。」

   忘れてるの発言に、すかさず反論した。

  「忘れていた訳じゃないわ。 ・・でも、ごめんなさい・・。」

   知ってて行かなかった方がよっぽど悪いのはわかっている。しかも誘ったのは自分だ。
   が、友人と祭り巡りと、王族の夜会の衣装作りと天秤で量れば、どちらが重いかは目に見えている。
   それはマニカにも解っていた。


  「怒っちゃいないよ。 最初から行けなくなるかも知れないって前提で立てた計画だし、
   ・・・って、 そんな事より早く! 片付けなんていいから外に出よーよ!!」

   マニカは黒髪の少女の空いた左手を掴んだ。
   掴んだ事により両者の肌が対照的な色なのがよく分かる。
   
  「ヴァシュクが言ってたんだって! 『ムシュリカ』は、きっと遅れるだろーから迎えに行ってこいって!
   礼拝の時刻だから、其れだけは急いで行けって!」


   黒髪の少女『ムシュリカ』は、目を開く。

  「あ・・、もう正午なの。」

   週に一回の礼拝が、『地帝祭』に重なっている事もあって、今日は忙しい日だと言う事をあれ程憶え自分に言い聞かせたつもりが、
   逆に気を張りすぎて他の事に目が向いていなかった。

  「行かなきゃ! 今日の礼拝は『地帝聖誕祭』ともあって盛大に行うみたいだから、今頃混んでるよ!」

  「でも、片付けが・・。」

   ムシュリカは自分の後ろに散らかる、床の糸屑や布切れの山を見渡してマニカを見る。
   痺れを切らしたマニカは叫んだ。

  「後でやればいいでしょそんなの!! 地帝神は待ってくれないよ!!」

   無理やりムシュリカを引っ張って、作業場からマニカ達は走って去った。



   *



   マニカの言葉以上に、街は祭りで賑わっていた。
   『帝都シャクルム』が世界有数の人口と文明を誇っている他、地帝神光臨の地だからだろう。
   場所が街はずれにも拘らず、彼女達の予想以上に人々は混雑し、停滞している。
   郊外でこの惨状なのに、中央部へこのまま行くとなると気が重くなる。
   だが、『ヨニ教』の熱心な信者であるマニカは、それでも行く気満々なのだ。
   人にぶつかりつつあるも、二人は前へ進んでいた。

   出店には人間の商人は勿論、獣族『ハヌマ』も商売を始めている。
   真珠の装飾品、蜜の焼き菓子、野ウサギのパイ、新鮮な果物など『地帝聖誕祭』に所縁のある物ばかりが売られている。
   多くの職人達の腕の寄りの見せ所、と言う事だ。


   道を通り過ぎ人を掻き分けるたび、汚物を見る目、憐憫の目、反らされる顔。
   知らない振りなんてしない。 でも、止めてほしいとは言わない。
   ムシュリカ達は、差別を否定しない。

   この国の人間達の半数が『捕虜』なのだ。
   敵国から祖国を奪われ、いたぶられて奴隷としての烙印を押された。
   種族間も国境を越えた先の同僚が増える事によって、『人間』は『ハヌマ』を受け入れる事ができた。

   物心ついた頃から捕虜であったムシュリカは、異色な事情により仲間内からも酷使された事がある。
   彼女は王族に限る筈の『黒髪』と、真逆の『金の瞳』を持ち合わせていたのだから。
   特長で人を差別する辛さは、誰より知っている。 だからこそ、孤独でもあった。



   市場を駆け抜け礼拝堂へ向かう中、朝から何も口にしていないムシュリカは、
   肉を焼いた匂いや砂糖菓子の溶けた甘い香りが、異様に鼻につく。
   思わず唾が出るが、そんな事を気にしている場合ではない。

   一週間の五日目の日にあたる礼拝は、この世界の人々の中でも重要な日とされている。
   他の日の礼拝に参加できない者は、この五日目の日は絶対に礼拝に出向かなわなければならない。

   ここ最近、捕虜達は全くと言っていい程礼拝に参加していなかった。
   『地帝聖誕祭』の準備で忙しかった為、今日こそは参加しなければならない。
   その礼拝も信者達に限るのだが、ムシュリカも仲間のマニカやヴァシュクと共に行動を取るようになってから、
   自然と礼拝堂に足が向いていったのだ。

   生活に 『ヨニ教』と言う魔族文化が浸透しているのは気味の悪い話でもあるが、『全ての文明は魔族により始まり、
   魔族により終わる』との国の学者の話も聞くので、『魔族』と『その他の民族』の縁は切れないのだと世の中は言う。

   その文化の一部である『ヨニ教』の礼拝堂に向う中、ムシュリカ達は近道をする為に町の中央の広場からどうしても通りたい所だったが、
   中央は予想通りの状態だった。



  「う・・・わぁ・・。」

   思わずムシュリカは感嘆の声を出した。
   城周辺の大通りは『ハヌマ』や『人間』が多く賑わって行進の最高潮を迎えている頃だったのだ。

  「だぁあ! 何なのよ、この王族のアホ人気はぁ!!」

   人ゴミに流されながらマニカは叫ぶが、烏合の衆は王族に目が行っている。
   一体何が御目出度いのか? その笑顔に彼らが応えてくれる訳ないのに。
   笑顔と歓声を彼らは送りながら、王族を迎えている。
   マニカの後を追いつつも人ゴミに同じように流れてしまったムシュリカは、幸か不幸か道を通る王族の姿を拝めた。


   暗澹とした鎧をまとい、速翔ける獣の背に乗り、銀色の手綱を引く微かに見える手は白い肌。
   『美しさ』、『妖しさ』、『恐ろしさ』を兼ね備えたその者達は権威をそのものを表しているかのようだった。
   が、素顔は見れない。 否、『兜』で見えない。
   顔が頭から鼻先まで隠れていて、ハッキリした容姿はわからなかった。
   髪の色も、瞳の色も、感情も。

   その獣の背に跨る男性(恐らく)の後列に続くは、傘を差してただ前を向いている黒いドレスの女性と幼い子供。
   街の行進を迎えている国民にも興味はなさそうに澄ましている様子だ。 やはり顔は見えない。
   顔まで思わず横に向けていたがマニカの叫び声に我を取り戻して、細い腕で人々を掻き分けながら彼女の案内に続いた。
   今日は本当に、目出度い日なのだ。



   中央の行進を抜けて、ムシュリカ達は宮殿の西にそびえる礼拝堂に向かう。
   ドーム状の白い石造りの講堂と大伽藍、門から礼拝堂の入り口まで同じく白のアーチが並んでいる。
   なぜ『魔族』が礼拝堂の色も黒統一にしないかは、些か気になる所だがそれは古からの慣わし故に誰も疑問には思わない。

   大門からは既に人気は少なくなっており、講堂入り口から人があふれて押し合っているのが遠くからでも見えた。
   門の入り口に見知った仲間がいる事に気がついた。
   その人は柱の枠に寄りかかって、ムシュリカ達を見ると少し微笑んだ。


  「一時間と半・・・、あなたホントにバカね・・。」

   開口一言めがそれだった。 消え入りそうな、しかし重みのある声だった。
   向かいの二人は固まる。 それは言うまでも無くムシュリカの事であろう。

  「連絡一つよこさないで・・・御免なさい。」

   身を縮めながらムシュリカはおずおずと謝った。

  「そんなんじゃないよ。 ・・・ホンとにバカ。」

   ムシュリカは言い返さない。
   彼女が一体何についてバカと言っているか解らないからだ。
   オロオロしている彼女に、手助けをするようにマニカは訳した。

  「『仕事バカ』っ・・・て事だよ、ムシュリカ。」

   それは、強く言い聞かせるようだった。
   それを言ったと同時に、ムシュリカの肩ほどの丈の少女が彼女の服の袖をつかんだ。
   改めて仕事に熱心すぎた自分を反省して、そして少女の肩を軽くたたいて言った。

  「お店・・あとで回ろうね。」
   と、許してくれたのか話題を変えてムシュリカに言った。
   微かににこやかな顔を見て、ようやく安心した。

  「待たせてごめんね。・・ヴァシュク。」

   ヴァシュクの小さな手を握ってムシュリカは返事をした。
   彼女は鳥類の『ハヌマ』に特徴的な『クルルル』という囀りをして、照れた様に顔を下へ向けた。

  「もう礼拝がはじまる。 早く中へ入ろうよ。」

   様子を見ていたマニカが、礼拝堂を指しながら急かした。



   *



   正午の鐘とともに礼拝が始まり、先ほどまで騒がしかった講堂内は静寂へと変わった。
   球体の天井には天の御使いの像が彫られていて、慈悲の目で下々の信者達を見守っている。
   今日『聖日』は、特別にヨニ教の大僧正がこの礼拝堂に訪れていた。
   説法台の上に立ち、彼は経典の一節を賛美を込めて謳い上げるのだ。


  『聖なる子 清き子 父なる皇 ガイラ

   地を覆い 育み そして 遺し

   地に生まり 地に鎮み 子らに恩寵を 自愛の詩を

   言の葉を分け 生き術を示した 地の武帝―――』


   息が詰まるほど人が多い中、静寂した講堂は大僧正の歳を重ねた皺がれた声が端にいるムシュリカ達にも届いた。

   ムシュリカは憐む。 地の王は何故、奪うことでしか自らを守れなかったのか。
   ムシュリカは憤る。 侵略者である彼らの聖書に万人が救われるのか。
   ムシュリカは感じる。 『人間』はそうするしか生きる術が無かった事を。

   礼拝の初めに司祭の読むこの一節に、矛盾に思ってならない。 嫌気や憂いばかりが募る。
   好きでないのだ。 神と言う者が。


  『智と理を。 子と精霊に。

   全てはガイアの名の下に・・。』


   そしてヨニ教独特の礼の作法を行い、大僧正は台から降りた。
   (と言ってもムシュリカも、この礼儀しか知らないのだが。)

   次に台に立ったのは、いつも見かける祭司長だ。
   大僧正が見ている所為なのか格好もいつもと違い、絹の衣装とヨニ教の紋章を掲げた眩い杖を携えている。
   そして今日は『地帝生誕』の話を延々とする。
   いつもは小声で話す者もいる筈が、これもまた大僧正の存在のおかげか気がしまり、皆疲れが見えた。



   一刻経ったほどに、ようやく礼拝は終わった。
   最前列にいる上級階級の貴族達が先に去り、次に一般の帝国民、他国の客人と出て行き、最後に捕虜の人々が去る。

   ああ、ようやく終わったか。

   既に祭司長話の内容も覚えていないムシュリカたちは、背筋を伸ばして欠伸をした。
   一番隅にいたムシュリカ達は、いつもより疲れたその礼拝から早々と退散しようと思った時、


  「ああ、丁度良い。」

   と、背から誰かに呼び止められた。
   その皺がれた声に振り向けば、ここの祭司長であった。
   マニカとヴァシュクは、丁寧にお辞儀をする。
   ムシュリカも反射的にお辞儀をした。


  「捕虜共、お前達に仕事を与えよう。」

   それはいつも見る慈悲深い目ではなく、侮蔑がこもった汚物を見るような目で。
   しかし、ムシュリカ達はその言葉に静かに耳を傾けているだけだ。

  「ここの講堂の掃除を頼む。 幾分楽な仕事であろう。 私はこれより弟子達と大僧正様の宴に向かわねばならん。」

   魂胆は分かる。 ここの広い講堂の掃除が面倒なので、捕虜達に押し付けようと言うことなのだ。
   命令されたのは今に始まった事ではないムシュリカ達は、それに応じるしかなく、


  「・・・はい。 喜んで。」

   と、主人でもない者に頭を下げて、作り笑顔で言う。
   祭司長の後ろでは、その弟子達がほくそ笑んで此方を見ている。

   偏見の視線、嘲い、不快な差別の扱いには慣れてしまった。
   が、其れを思うのはムシュリカだけで、他の二人は心から喜んで承っていた。

   憧れであり、心酔し、尊いヨニ教の者の言葉は神の言葉と似て非なるものだからだ。
   その二人の信仰心を踏みにじる、自称平等精神の『ヨニ教』につくづく嫌気がさした。
   ムシュリカの顔が歪んだ。


  「待ちなさい。 この『地帝聖誕祭』の日は、全ての所業は安らぐ日とされている。」


   また一つ皺がれた声が、祭司長と違い威圧感を感じる声にムシュリカ達の背筋を響かせた。

  「大僧正様・・・!」

   祭司長や弟子達は、目を開いてその場に伏した。
   ムシュリカ達も当然土下座になり伏した。


  「シャクルムの長よ。
   貴方がたは自らの職務の怠りを身分と言う権力を行使し、この者達を働かせ信条により口を封じようとした。
   そしてこの私をも利用し、偽った。」

   祭司長は、一つ一つの重みのある大僧正の言葉に肩を震わせている。
   権力の行使にムシュリカの脳裏によぎる。結局はどっちも変わらない。

  「・・・彼を連れて行きなさい。 懲罰を検討します。」

   大僧正の後ろに控えていた宮殿兵が、祭司長と弟子達を荒っぽく引っ張り、彼らは狼狽えながら連行されていった。


   講堂に残されたのはムシュリカ達三人と、大僧正と数人の護衛兵になった。

  「・・・お手間を取らせました・・。」

   大変言いにくくも、静かにムシュリカは大僧正に頭を下げる。 それにマニカ達も続く。
   優しい目で大僧正は静かに微笑む。 やはりムシュリカは警戒する。

  「いや、其れは私達にある。 力に溺れる者を私はただ赦せなかっただけです。
   ヨニ教の精神にも、人として生きる者にも・・。」

   彼はムシュリカの視線に気がついたのだろう。 申し訳なさそうに目を見た。
   別の方を向くと、遠い目で大僧正は連れていかれた祭司長たちの方角を見る。
   今度は寂しげな目だ。


  「かつてのロネクトフィの魔女のように祈りの届く者はもう・・。」

   小声だったが、確かにムシュリカには聞こえた。
   祈りが届く等の大僧正の言葉は、ムシュリカにはただ理解不能なだけだった。
   気がつけば、他の二人は大僧正の出現にただ呆然としているようである。

  「嗚呼・・申し訳ない。 うまく諭せればいいのですが・・・。
   ・・・権力という毒は酷く難解なものです。
   私はここの礼拝堂に保存されている経典を預かりに戻った由に―――、」

   そうして、今の現状になった訳である。
   祭司長という権威を行使し騙そうとした事に、マニカ達は多少複雑そうであった。


  「ここの現状が良く分かりました・・。
   半ば汝らのお陰です・・礼を言わねばならぬ・・。」

   彼は微笑み、温かな笑顔で言った。
   思いもよらぬ大僧正の言葉にマニカ達は焦って言う。

  「いいえ、大僧正様! 私達もご迷惑をおかけ致しました!」

   何度も往復して、マニカとヴァシュクは礼をする。


  「娘子達よ、縁があればまた会えましょう・・。
   ・・・それでは。 地帝神のご加護が在らん事を・・。」

   そう言うと、大僧正は後列に控えている護衛達を引き連れて講堂の奥へと行ってしまった。
   終始、マニカとヴァシュクは礼をして彼を見送った。



   外に出てから大声を出せるようになった所為かマニカは興奮して二人に、大僧正の労いの言葉を受けれた嬉しさと誇らしさを捲し立ててぶつけた。
   其れに対しムシュリカとヴァシュクは、うんうんと頷いてマニカを落ち着かせる。

   振り返ってみて、ムシュリカはあの権力者の言っている事を疑ってならなかった。
   あの場でも思ったけど、権力の行使は大僧正の側にもあったからだ。
   『大僧正』とは、ヨニ教の教皇にあたるヨニ教最高権力者の『導師』の下につく、実質上の第二の権力者だ。
   法の番人であり、真理の象徴。
   そんな彼に諌められたら、誰だって従う他ないだろう。 何が法の番人だ。



  「ムシュリカちゃん!マニカちゃん!」

   ムシュリカが沸々と不満を重ねていると、丁度礼拝堂の門の入り口から一人の男が三人に近づいてきた。
   手を振って、走ってこちらに向かってくる。
   彼女達の前に止まると、一回ため息をした。

  「いやぁ・・・やっぱり此処にいたか・・。
   大変だったね。 危うくあの祭司長に働かせそうになったんだろ?
   あの坊主、地方に飛ばされるといいんだがな・・。」

   別にどうでも良かったが、聞いた限りでは懲罰は免れないのだろう。
   ムシュリカ達は苦笑いをお互いを見、そしてその男を見る。
   マニカがその男に聞く。


  「アーサーさん、こんな所で何をしているんですか?
   お昼は皇太子殿下のお傍に付きっ切りの筈では・・?」


   彼は通称をアーサー、本名はアーサルトと言う。
   首都指折りの名門ジェリーベル家の嫡男であり、ムシュリカやマニカ等の上司、つまりは直属の主人に当たる人だ。

  「やーっと、休み時間を取ることが許されてさ・・。
   其れなのに今日は欠陥が多いこと多いこと・・・僕を過労死させる気なんだか・・。」

   この人懐っこさと言うよりか人望の厚さや親近感により、周りの信頼も厚くムシュリカ達も一目置いている。
   彼によりムシュリカ達は迫害から守られているとも言えなくも無い。
   黒髪と翠の瞳の貴公子に、種族を問わず平等に扱う姿勢は賛否両論ではあるがジェリーベル家の御名を通す結果となった。
   どうやら人目につかぬように頭にはターバンを巻き黒い髪を隠しているようだが、黒い服を着ている辺り隠しきれてない。

   来て早々愚痴・・・と言う訳でもなさそうだ。 忙しい中、ムシュリカ達をわざわざ探すと言うことは、余程の理由がある筈である。


  「・・・あーのねー・・・、ムシュリカちゃんに限り・・・実は用があるんだよねぇ・・・。」

   そう言って、マニカとヴァシュクに視線をずらし見つめる。 少々いやらしい。
   二人は察してムシュリカに言う。

  「・・・ムシュリカ。 私達、いつもの市場の入り口で待ってるから。」

   ヴァシュクがそう言うと、二人はムシュリカが何かを言う前にさっさと立ち去って行った。
   置いていかれたムシュリカは、アーサーを見る。
   実に、晴れやかな笑い方だ。



   *



   その場にずっといる訳にもいかなく、繁華街の喫茶店に場所を移動した。
   市民街の一角にある小洒落た場所だ。 アーサーが行く程だ。穴場といえる場所だろう。
   当然アーサーの奢りである。(やはり抵抗があるので左程高くないものを頼んだが。)


  「あの・・アーサー様。 私に用件とは?」

   取り残されたムシュリカはおずおずとアーサーを覗く。
   貴族の御曹司がこんな市民街にいて、危なくないのかと多少考えながらも彼女は姿勢を崩さない。

  「あー、そんなに硬くなんなくていいさ。 逆に怪しまれるし。
   ・・・って言っても、君には無駄か・・。」

   確かに怪しまれるだろうが、主人を前に堂々と溜口など捕虜には御法度である。
   アーサーは優雅に紅茶を啜りながら、ムシュリカに尋ねた。

  「まあ、それはいいや。
   ところでさ、君は踊り子の服の衣装係だったんだろ?」

   早速仕事の話に移った。
   其れを任命したのは他ならぬアーサー本人なのだから。 
   それはほんの数時間前に終えた仕事でもあった。
   ムシュリカは頷いて返事をした。

  「うんうん。 それでさ、この間の『豊穣の舞』の一連の流れを一緒に見たよね?」

   衣装の採寸のついでに、アーサーはムシュリカに舞を見せてくれたのだ。
   つい数日前なので記憶に新しい。

   手首や足首に小鈴を装い、涼やかな風と布が共に流れ春風を誘う。
   『舞姫』・『歌姫』・『奏姫』の三名の役が担い、皇族の女性の評価が高い舞台である。
   夜会の年功行事の華とも呼ばれているのだ。

  「歌合せの歌詞と音律・・・それも憶えてる?」

   それにアーサーは目は鋭く声は低くして、特に強調した。
   執拗に尋ねる彼を疑わしく思いながらもムシュリカは「はい。」と答えた。

  「よかったぁ! よしよし、突然だけど頼まれてくれないかな!」

   彼は『命令』という言葉が嫌いなのか、必ず『頼み』で言うことも特徴だ。
   同じく彼のおねだりの目が輝かしく、反らす事も出来ない良心もある。
   これにムシュリカ達は断れた事はない。
   だが本当に突然である。

  「何を・・・ですか?」

   くどいが、頼まれたことは今に始まった事ではない。
   しかも、主人となれば拒否権などない。
   向こうはお願いでも、こちらは『命令』としてしか受け取れないのだ。

  「君は今夜の夜会の裏方として来てもらうだろ? つまりは僕と共に城へ行くって事だ。」

   裏方と言っても衣装を届けて着せること位である。
   その後は夜会が終わるまで帰れず、その夜会を覗く事も禁じられている。

  「・・・夜会の『豊穣の舞』の進行役は俺でさ・・。 非常に言い難いんだけどね・・。」


   『豊穣の舞』の件で何か起った?
   何を言われるか大体は読めてきた。
   要は何らかの支障がきたり、夜会で仕事をしろと言うことである。
   裏方なら、ムシュリカは幾らでも引き受ける事は出来る。
   しかし、『言い難い事』の確信が未だ掴めない。

  「その『豊穣の舞』は、{琴を響き}、{謳を奏で}、{舞を踏む}。 そう言う手順の筈だったんだけどね・・。」

   古からある手順である。
   琴は命の流れを、謳は母の教え、舞は生きとし生けるものの一生を踊りで表す。
   彼の『筈だった』を聞くために、ムシュリカは黙ったままだ。 嫌な汗が流れる。

  「その中の謳い手の『歌姫』がさ・・。 今朝に逃亡して・・・行方不明なんだ・・。
   毎年警備を付けている筈なのにね・・・どうやって・・・。
   ・・・まぁ・・逃亡は今に始まった事じゃないけどさ・・・解るだろ? だからこそ緊急なんだ・・。」

   捕虜の逃亡は、貧民街でもしょっちゅうある惨事の一つだ。
   絶えられない、殺される、身売りなんて御免。
   理由は人それぞれで、逃げ出したら捕まえる。 それが道理だ。
   捕まった『捕虜』は即刻投獄となるか、一生屋敷から出れない等の厳罰が下る。

   しかし、アーサーは追跡に左程力を入れない。
   捕虜達も何度も逃げ出そうと考えた事があるが、不思議とそうしなかった。
   彼の元にいる捕虜は絶対的に守られるという理由もある。
   が、勿論捕まったら体面上彼も支配者なので、刑を宣告する。

   彼の元にいる捕虜は彼の謎の魅力に惹かれているのだ。


  「今、必死に血眼で探してるよ。 置手紙にね、どうやら夜会のプレッシャーに耐えかねての事らしい・・。
   確かにあそこは皇帝陛下や女帝陛下、皇太子殿下、将軍や他国の客人などの上級階級の勢揃いじゃ・・、
   ・・・まぁ、逃げ出したくもなるか・・・。」


   勝手に納得して、アーサーは再び紅茶を啜った。
   ムシュリカは未だに飲めないでいた。
   今の話で、余計に飲めなくなってしまったと言えよう。 唾を飲み込む。

   そんな国の大者の前でいざ謳うも、間違えたり音をはずしたりしたらどうなるのか。
   確かに考えたくもない。


  「そこでだ・・・。 その謳い手の候補者の一人に実は君がいた事に僕は目をつけた・・。
   そのあとは・・・何も言わなくても解るよね・・。」

  「・・・・・。」

   ムシュリカの顔は段々と青くなっていった。 つまり謳い手の者『歌姫』を代行しろと言う事なのだ。
   御免である。 もちろん反発した。

  「そんな! 私がそんな大役を勤めるなんておこがましいです!無茶です!」

   拒否は当然する。 選ばれてたまるものかと思った。
   折角候補者からさっさと抜け出して、衣装係へと移ったのだ。
   だからこそ安心しきっていた。

  「そう言うと思ったから言い難かったんだよ・・。
   最終候補に残った他の候補者達を挙げるものの、その娘達はもう別の仕事に就いてしまってるしね。
   君には気の毒な事をしたよ。
   聞いた話によれば自ら身を引いて辞退し、そして衣装係へとさっさと身を転じたそうじゃないか。
   競争率高いからねぇ・・。」

   うんうんと、然程残念そうでもなくアーサーは頷く。
   ムシュリカは呆けている。

  「君がもう就いている仕事は終わってしまったとマニカちゃん達から聞いてるし、今後、城へ行くといっても暇だろ?」

   暇なことは暇である。 控え室で何もせずに一晩中終わるのを待つのだから。

   ムシュリカは候補者から抜けたことに、悔いも後腐れもない。
   脅された訳でも嫌がらせを受けた訳でもない。
   元々謳い手などになる気はなかった、否なりたくなかったのだ。
   『歌姫』よりも、もっと効率的な仕事が見つかったのでさっさと辞退したのだ。

  「捕虜達に聞いた所・・君は仲間内で、いや貧民街でも随一の歌声の美しさを誇るようじゃないか。
   一体なんで自信がない? 恥ずかしい事ないじゃないか。 むしろそんな人材を見逃してた僕は自分の眼を憎く思うよ!」

   『それはマニカ達が様々な人達に過大評価な情報を流したからです。』、とは言えなかった。
   彼女自身に自覚はないのだが、ムシュリカの歌声は確かに貧民街で名が上げられることが多く、
   マニカから毎度『地帝聖誕祭』の毎に立候補しろとうるさく言われる。

  「僕は聞いたことが無いんだけどねぇ・・それほど評判がいいんだったら是非とも――」

  「あのっ・・・私下手で・・。」

   ムシュリカは本心を言った。 自分の歌声が一番上手なんて思えなかったから。
   そう認めると自惚れているかのようで嫌だった。 認めた所で解放してくれる筈も無い。
   しかし、話し相手はそれが通じず・・

  「よし! これから僕と謳の練習へと行こう!
   衣装ならマニカちゃんとヴァシュクちゃんが後で急ピッチで作ってくれるみたいだし。」

   この物事を臨機応変で楽しむ主人に通ずる訳など無いのだ。
   その中のアーサーの言葉にムシュリカは反応した。

  「・・・ええっ!?」

   今度こそ、驚いた。
   二人は確信犯だったのである。

  「あれ? 聞いてないのかい?
   ムシュリカちゃんを説得しに行くって、マニカちゃんが迎えに行ったんじゃなかったのかい?」

   勿論、聞いていない。

  「迎えには・・・来ましたが・・・。」

   ムシュリカは、今度こそ脱力した。
   アーサーよりも、仲間二人の巧妙な作戦に呆れが生じた。

   再び、アーサーの頼み事を思い出す。
   今更だ。 断る事も逃げ出す事も、今更何になるのだ。
   困るのは目の前にいる主人、その主人のとばっちりを食らうのは捕虜であるムシュリカ達だ。
   断るなど、 人間でなく『捕虜』と言われた時から、禁じられているのだから。

   返事をしなければならない。 頼まれる度に、そう腹をくくるのだ。
   たっぷりの間の後、ムシュリカは発した。

  「分かりました・・・承ります・・・。 それで練習とは何です・・? それに―――」

   『私、責任は取れませんよ。』と言葉を続けるつもりだった。
   その返事を、半分ほどしか聞いていないのだろう。
   聞いた途端にアーサーはムシュリカの両手を取って、力強い握手をした。

  「ありがとう! 助かるよムシュリカちゃん!
   よし、早速俺と屋敷に帰ろう! まず琴の音合わせだろ・・化粧は然程必要ないな・・元々可愛いしな――・・。」

   ムシュリカの話を聞かずにアーサーはさっさと今後の予定を立てる為、自分の世界に浸った。
   そしてムシュリカが一口も紅茶を口にせぬ間に、アーサーはさっさと店から出たのだ。

   少々急ぎ足でアーサーは人を押しのけながら、練習場であるジェリーベル家の屋敷がある上級住宅街へと向かう。
   ムシュリカはその人攫いに引き摺られるように屋敷へと連れて行かれた。



   まだ真昼の中、上を見上げると晴天。 青々と高く、鯨が多く泳いでいる。
   万国旗と、魚の群れのような風船が多く空を飾る。

   今日の夜会には美しい満月が見えそうだった。



   *



   大陸暦  1429年

   ヴェーダルド軍帝国  帝都シャクルム


   これが、『地帝聖誕祭』、『行進』の出来事である。



   了