ラクシュミ 〜221譜の讃歌〜





     『序章・喪失区域』  Randagio








   『 詠う言の葉 それは賛美

     糸の響き それは天上の音

     鼓舞それは 大地の歩み


     《祝祷 第四節》   ヨニ・ガイラ 』








   大陸暦  1429年  同日 夜  『地帝聖誕祭』



   帝都シャクルム  宮殿内 : ダンスホール






   寒々とした紺と黒の天井は、丸で夜の世界そのものだった。
   周りの者は皆、漆黒の頭髪に黒衣を纏っている者ばかり。
   一連は何らかの闇の儀式を彷彿とさせるものがあるが、違う。

   彼らは今宵良き日、 『地帝聖誕祭』 に招かれた上層階級の貴族と客人達だ。
   皇族御用達の大商人や聖職者、騎士が様々な箇所で開宴までの談話を楽しんでいる。

   『舞姫』 として選抜された少女サリネはこの空気には毎年馴染めず、密かに苛々していた。
   間違っても来たくて来た訳ではないのだ。
   毎年、嫌々候補に入るのだが仕事に生真面目な為『舞』は素晴らしく、見事に『舞姫』としての功績を立てている。

   魔族にも注目受ける理由は、街を歩けば誰もがふり返る様な美貌を持ち、冷たく拒絶的な縹の瞳が
   『舞姫』としてよりも『魔族』に似た気配を漂わせた素質が大きいのだろう。
   夜会の責任者であり、選抜者であるジェリーベル家はいつもそれに着目していた。

   毎年『舞姫』は決まって彼女が独占しているのだから、仲間内から僻みや八つ当たりを受け、孤立していく事は必然的だったのかもしれない。
   舞衣装をその身に纏い、その空間内では肌蹴た白い肌が仄く光っているように見えるから、
   彼女はその独特の空間内では割と目立っているほうだった。


   だが元来孤独を好むサリネは、それについてはどうでも良かった。
   我慢ならないのは、今この場所に居ると言う事だった。
   『奴ら』と同じ空気を吸い、同じ空間を共有しているという事。

   忌々しい、憎い、汚らわしい、そのような不の感情が渦巻き、憎しみと恨みが湧き上がる。
   『一刻も早くこの場から去りたい』と、彼女の顔は誰が見ても不機嫌と見える程に歪んでいた。

   彼女がこの広いホールにいる理由、それは大遅刻しているジェリーベル家の嫡男との待ち合わせ。
   『謳い手』である『歌姫』の者が行方不明であり、急遽『代役』を突発的に選び、支度をしているとの事だ。
   しかもそれに選ばれたのは、自分の衣装の採寸をした娘であると。
   全く、ジェリーベル家の嫡男の臨機応変には、感心共に呆れたものだと思う。
   が、今期もいざこざがなく、早く終わらせて帰りたいという気持ちの方が強かった。

   急遽『歌姫』として選ばれた娘は、サリネが唯一会話を交わせる、一番安らげる『人間』だった。
   サリネは彼女の事をよく知っている。
   誰よりも強く、何よりも替えがたいと心から思える。


   彼女は特別で、慈悲深くて、尊くて、何も知らないのだから。


   同じジェリーベルの捕虜で至極普通の人間であるのだが、誰もが一目置く程特殊な娘であった。
   彼女の雰囲気がそうさせていると言えなくもない。
   それがサリネにとって愛しく、驚異的なものだったのだ。
   しかし『捕虜』としての地位が、彼女を『穢れた者』と決め付けられ束縛を強いられる。


   ジェリーベル家主催の『豊穣の舞』は捕虜達にとって好機なのだ。
   運が良ければ『捕虜』から解放され、故郷の国に帰れる自由が手に入ることも望める。
   サリネは故郷を知っている。 だが、一人では帰れないのだ。
   帰れるのなら、彼女と共にそうなりたいと心から思っていた。

   共に自由になり、彼女の故郷の国で本当の 『人』 の自由を手に入れる。
   それがサリネの望み。

   漸く彼女にも『歌姫』の役を担う時が来た。
   今期こそはそれを掴んでみせる。
   毎年無関心に取り組む中、情熱が持てる。


   涼やかな鈴飾りをチリチリと鳴らしながら、こちらに来る二組が見える。
   待ち焦がれた人達だ。
   一人はジェリーベル家の嫡男坊、もう一人は純白の衣で美しく着飾った、花嫁のような『歌姫』だった。



   *



   宮殿の裏口にて、アーサーとムシュリカは憲兵の検問を受けている所だった。
   裏口なので普通は警備も手薄の筈なのだが、

  「あー、この分からず屋ー! 僕はジェリーベルのアーサーだって!
   いつもここ通る時見てるから、君達の顔なじみの筈でしょう!?」

   アーサーは兵士に文句を言いつつも、入城書を提示してサラサラと名を綴る指を止めない。

  「申し訳ございません。 夜会では全員身分証を提示するのが規約にも明記してありまして・・。」

   流石に上層階級の集まりとなれば、警備の手は抜けないのだろう。
   兵士は苦笑いをしてアーサーに謝る。
   もちろんアーサーもそれを承知しているのだが、ある人との待ち合わせに大幅に遅刻をした事で気持ちは焦っていた。


   アーサー等との歌合せの練習はろくに休む暇なく、四刻以上に渡って行われた。
   ジェリーベル家の天井の高い部屋にて、ムシュリカの歌声は幾度も止まることなく響き渡った。

   音程、伸びやかさ、響き、歌詞の覚えなど四時間で叩き込むのには苦労し、あとは本番のムシュリカ次第である。
   不安がとめどなく溢れる中、マニカ達がやって来てムシュリカの為の衣装を自慢げに見せに来た。
   気持ち的には嬉しいものだが、欺かれたという気持ちも含まれ、ムシュリカはそれを苦笑にするしかなかった。

   衣装は、手先が器用な二人が三刻で作り上げた芸術品だった。
   つやつやの絹の白衣装に、銀と黒真珠の装飾品は妖しく美しい。
   丈の長い袖に腕を通せば、ムシュリカは美しい『歌姫』へと身を変えた。
   白い首すじに黒真珠は映えて見え、細い足首の金の小鈴はより一層艶かしい。
   染み込ませたのか白い衣装には、春の花の芳香がする。
   甘く芳しい香りは、太陽の暖かさを感じさせた。

   直接宮殿へ向かい着替える時間がなかった為、屋敷にて着替えを済ませ、大き目の布で身体を包んで衣装を隠した。
   春の衣装は薄く柔らかい仕上がりなので、女の兵士が触り触り調べるときも、じかに温度を感じたので緊張したものだ。


   まだ『豊穣の舞』の披露の時刻でもないのに二人が急ぐのは、始めの通り待ち合わせをしていたからなのだが。

   夜会の時刻が刻々と迫るとアーサーがだんだん苛立っている事にムシュリカは気がついていた。
   待ち合わせをしていたのも、それに遅刻していることも、ムシュリカはついさっき知ったのだ。


  「いったい、何時に会う予定だったんですか?」

   ムシュリカの手首を握り、引っ張って行くアーサーに聞く。
   彼は、一つ間をおいて言った。

  「今から、・・・二時間前・・。」

   ムシュリカは口を開いた。
   アーサーに「その娘に遅刻を伝えたのか」等の言葉をかける筈なのに、何も言えなかった。
   遅刻の理由は少なからず、ムシュリカにもある。
   意思関係なく引き受けた仕事とはいえ、引き受けた以上は責任をもつのが道理というものだろう。
   原因を彼一人に押し付けるのは理不尽であろう。
   
   だが、とても彼女に会い辛い。
   彼女とはあまり出会う機会が少ないが、彼女は待たされるのを嫌う、それは態度に出ているので分かる。
   普段冷たそうな雰囲気を更に増して、形相を一層恐ろしくするのだろう。
   落ち込むのは楽天家(今は多少焦ってはいるが)の主人より、その従者の方である。
   現にその主人は、遅刻よりも『舞』の予定に集中しているのだから。

   兎も角も二人は、湿った石造りの通路を越えて、分厚い鋼鉄の扉から外へ出た。


   そこもまた通路であったが、今通ってきた通路のような湿り気はない。 寧ろすがすがしい。
   足元には臙脂色の触りの良い絨毯、目の前に見える窓は高く高く天井に聳える。
   壁もムシュリカ達のいた作業場とは違い、高貴な大理石で白く並んである。
   建造物の作りと、素材の違い。
   ここでやっと宮殿へ入ったのだと実感できた。

  「どうだい? 初めて入る城の心地は?」

   アーサーは馴染んでいるようだった。
   先程から何を質問しても生返事だった自己主義な主人。
   ムシュリカは子供の様にはしゃぐ訳もなく、また大人の様に一般的な意見を述べる訳でもなく。
   呆然とでもしているかのような、硝子のような目で返事をした。

  「驚くのはまだこれからさ。 さあさあ『舞姫』が待ってるよ!」

   得意げに言うとアーサーは再び、ムシュリカの手をとり忙しなく歩き始めた。
   二人の早い足音は高い天井によく響く。
   宮殿の中のわりに、誰とも会わないのに疑問を持つが、すぐに解消された。
   年に一度の世界規模の祝日に忙しくない訳がない。
   皆『夜会』の為、宮殿の上の階にてせっせと働いているに決まっているのだ。

   アーサーは一つの扉の前に立ち、横にあるボタンに触れ、扉を開いて見せた。
   部屋の中は硝子張りの狭すぎる個室で、6・7人が限界の広さだ。
   不審な顔をムシュリカがしていると、にっこり笑ってアーサーが言った。

  「これは『エレベータ』って乗り物なんだ。 城の連中の間じゃ日用の機械で、これで上へいけるのさ。」

   確かにエレベーターからはタバコの煙の臭いや、きつい香水の香りがツンと鼻に伝わった。
   二人が中に入ると、自動的にその部屋は動き出した。
   上へ上へと上がり続けて、点々と灯火がともるシャクルムの都が一望できた。

   思わず、本日何度目か分からない溜め息をしてしまう。
   ここまで高い建物に入ることは今までなかったからだ。


  「残念ながら、ここからじゃ作業場は見えないなぁ・・。」

   アーサーに読まれていたのか、ハッとして我を取り戻した。
   だが丁度正面方向に、昼に向かった礼拝堂が見えた。
   月の光と、灯火の光で、建物全体がどのような様子か存分に見える。
   シャクルムの美しい夜景に、うっとりとしていた。

   そしてすぐに、束の間の展望は終わってしまった。


  「エレベーターって便利だからねぇ・・身分問わず使えるようになれりゃいいんだけどなぁ・・。」

   今のアーサーの言葉を聞く限りで、これは明らかに上級身分用の乗り物なのだと察した。
   後で咎められたら、と不安が残るがそのような事を考えている暇はない。


   再び早歩きで通る中、壁の石は白から黒曜石の造りに変わっている。
   忙しなく働く侍女たちが二人を一瞥すると、深々と頭を下げる。
   普段異なる態度の違いからか、ムシュリカはここに来てから戸惑ってばかりだ。

   罷り通る中、香ばしい小麦粉の焼けた匂いや、ぶどう酒の匂いも微かに鼻に運ばれた。
   昼から何も食べていないので、腹の鳴りをじっと堪えた。
   この夜会さえ終われば、好き放題に飯を食わすとアーサーが言ったのを思い出す。
   その時間が、とても待ち遠しい。


   たどり着いたのはカーテンも、壁も天井も、全てが黒で埋め尽くされた部屋。
   入った瞬間に背筋が凍った。
   急に命の危機と恐怖による震えを覚えたのは、何せこの会場の客人たちは魔族だらけだからである。
   魔族独特の雰囲気は、差別の苦痛を思い知らしているようで、息を殺してムシュリカは耐えた。

   目の前に、青の衣装を纏った女を見るまでは。
   女は苛立ちに顔を引きつらして、アーサーを睨み付けている。


  「やあ・・遅れてすまなかったねぇ。」

   ちっとも悪びれもなく開き直って、アーサーは彼女に言った。(謝った所でもう取り返しがつかないからだろう)
   彼女の返答は一言。


  「お前、死ねばいいよ。」

   そうとうご立腹のようである。
   その美しい顔が、怒りに凄むとより一層恐ろしく感じる。

  「第一声がそれかい? 僕一応、君の上司なんだけどなぁ・・・。」

  「関係あるか、くたばれ。」

   彼女は特に魔族を嫌っている者として、捕虜の中では代名詞としても用いられる有名人だ。
   アーサーに延々と罵詈雑言を吐いた後、ムシュリカを見て彼女は言った。


  「よく来たね、ムシュリカ。」

   そう一言。
   アーサーへの態度とは比べ物にならない位、温かい笑みを含ませて。
   それを見ると身体の震えが止まり、少し遅れて言った。

  「・・・まさか、私の衣装が披露されるのを目の前で見れるなんて思ってなかった。」

  『舞姫』のサリネの為に心を込めて縫った衣装。
   青の衣装は蒼の瞳を持つ彼女に実に似合っていて、ムシュリカは大変誇らしく思えた。



   *



   『舞』が披露されるまでまだ時間がある。
   ムシュリカ達二人はアーサーと別れ、夜景の見える隅の窓で開演を待った。
   黄昏は完全に消え、地上の星々が瞬いているように見える。

   二人が夜空を眺める中、周りの魔族達は二人を一瞥すると、さっと目をそらして避けて通った。
   サリネは勿論の事気にはしていなかったが、ムシュリカはかなり居辛そうに身を縮める。


  「どう? ちゃんと歌えそう?」

   気を紛らすための話題らしい。 対するムシュリカは、初めての舞台に激しい動悸が止まらずに

  「前に、・・何度か聞いていたから、何とか。」

   声と共に肩も震えていた。

   もし音を外したりでもしたら、ジェリーベル家の名目に傷がつく上に、どんな罰が下るかもわからない。
   サリネは何度と出場している所為か、その緊張はなさそうに見える。

  「ジェリーベルの嫡男坊なんか気にするな。 あんたは失敗なんてしないよ。」

  「・・・・・・・・。」

   淡々とした口調だが、彼女なりの気遣いなのだろうか? その気持ちで、多少なりとも救われた。
   落ち着けない気分の中が耐えきれずに、今度はムシュリカが話題をふった。


  「サリネは、 ここに居るって事は、夢があるからなんだよね。」

   捕虜、奴隷からの解放。 そして自由。
   または貴族の屋敷の妾、小間使い、秘書。
   其れは候補者達に限らず、全ての捕虜達が持ち得たい未来だ。

  「サリネ。 実力があるならなら、直ぐにでも故郷の国に帰れたんでしょうに・・・。」

   サリネは捕虜を魔族を嫌う事で巷を通らせているのに関わらず、解放と自由を毎年辞退した。
   あえて捕虜の世界に残っているようで、同僚達には不思議でならなかったのだ。


  「夢は、必ずしも自由になるだけじゃないから。」

  「は?」

   気の抜けた声が思わず出てしまった。
   それを恥ずかしいと思うことよりも、サリネの話の続きが気になる。
   意味深に彼女は続けた。

  「それだけじゃ駄目って事なんだ。」

   分かりやすく要約したようだが、ムシュリカはそれでも理解できずにいた。

  「私の夢は国に帰ることも含むし、捕虜からの解放でもあるし、不自由のない地位でもあるんだ。」

   欲が多いと言う事なのだろうか・・・それともそれ以外のものが目的なのか?
   何れにしろ彼女の考えは、計り知れずに謎めいている。


  「サリネって・・・本当に色々考えているんだね。」

   ムシュリカは感心半分、話題についていけなかった。

   交流は少ないが、普通に話せるような仲になるまでは時間はかからなかった。
   マニカ達でさえサリネと関わるのは避けているし、ムシュリカと友人という事も恐らく知らないのであろう。
   まだ馴れ馴れしくは出来ないのだけれど、それでも、もっと彼女を知りたいと好奇心は持っていた。

   配られてもらったグラスの酒を飲み干すと、外を再び眺めながら話し始めた。


  「自由って、必ずならなきゃならないのかな?」

   唐突な問いに、ムシュリカは、サリネを見つめて黙ってた。
   その様子を見て苦笑をしながら続ける。

  「自由になった先に、絶対に『幸せ』ってものが約束されてるって事はないんじゃないのかなぁ・・・って。」

   二度々事を繰り返した彼女に流石に返答しなければと思ってか、ムシュリカは考えが纏らない内に言った。

  「どうなんだろう・・・。 少なくとも私は、捕虜の中に幸せはないと思うけど・・。」

  「・・・・・・・・。」

   サリネは、話題を切った。
   期待はずれだったらしい。 ムシュリカは失敗したと感じた。

  「ムシュリカはさ、何で今まで『歌姫』に立候補しなかったの?
   実力はあるのに、それを使わないって無駄なことじゃないのか?」

   在る才能を、皆が為に行使する者。
   自らの自信のなさに、在る才能を放棄する者。
   恥ずかしく無い才能を持つ者が、いったい何故恐れる必要があるのだろう?

  「・・私はただ、こんなに大勢の人の前で歌うのが嫌なだけなんだ。
   絶対に平常心ではいられない、恥ずかしいし、怖い・・・。」

   なぜか、その質問は淡々と答えられた。
   素直な気持ちの感想だからだろう、幼稚な回答だと恥ずかしく思う。
   答える声が小さくなっている辺り、答えるのに慙愧に堪えないのだろうと彼女は察した。

  「まあ、普通の宴とは違う『夜会』だからね。 私も始めは逃げたくなったものさ。」

   ムシュリカはまた黙ってしまった。
   サリネは声色を変えて話し続けた。


  「ムシュリカだってそうじゃないか。 才能があるのにそれを披露しない。」

   確かに、そうである。
   アーサーの下ならばそこそこ自由に暮らせるし、不満はあれど無理して抜け出そうと思わない。
   サリネの言うことにも一理ある。


  「何度も出て、毎年の『舞の役』が自由権を得て外へ出て行って・・・その末を知った。
   ・・・無事に自由になった娘もいたけど、・・・自由を選ばない娘だっていた。」

   『自由なんて・・・仮初めの夢の様なものなんだよ。』
   それがサリネの口癖だった。

  「その時、『自由』って恐ろしいものだと思った。
   ここで舞って自由の称号を受け取ってしまったら、私達は誰にも守ってもらえなくなるんだって・・。」

   盲点であった。 『自由であることの恐怖』
   誰に束縛を受けるものではないと言うこと、 それは繋がりを断ち切ると言うこと、一人になると言う事。
   捕虜と言う身分が、その恐怖から守ってくれて、その上仲間も与えてくれるのだ。

   そして思う、サリネが捕虜でも常に孤独でいたのを。
   捕虜にあっては孤独、自由にあっても孤独。
   しかし彼女にとっては、『捕虜』も『自由』も大した違いは無いということなのだ。
   それでも、そこにいるだけでまだ孤独ではなかった。



  「自由になっても、私達は友達でいられるから。」

   サリネの空いている片手にそっと触れて、ムシュリカは言った。
   
  「サリネを守ってあげられる・・・なんて大した事は出来ないけど・・。」

   それ自体がサリネの望む絶対的な事ではないのは分かっていた。
   だが、それでもサリネは満足げにムシュリカの方を向いて言った。

  「・・・十分だよ。 ムシュリカ。」



   *



   やがて、『舞』の刻が訪れた。

   成るべく目立たない方を望むムシュリカは大舞台を見る度、顔を下ろす。
   ここで彼女は謳うのだ。

   ムシュリカは舞台に立つと只管祈っていた。
   『素晴らしく』なんて事は願わない、ただ『失敗しないで』と。
   そして出来れば、歌よりもずっと舞の方に注目が行きますようにとも。


  [ 紳士淑女の皆様、今宵はジェリーベル家主催の夜会に御足労頂き誠に有難う御座います。
   今回の舞台や装飾は、カーネル家の協力のもとに―――。 ]


   騒がしかったはずの食事会が途端に静かになった。
   アーサーが演説を始めた事により、ムシュリカは現実に引き戻された。
   協力者の商人や、貴族の御名を挙げている事によれば後援者の紹介であろう。
   他に不安を紛らわす事の出来ない彼女は、それを聞いて不安を忘れようとした。


  [ さて、今年で310周年目となりました『豊穣の舞』も、全ては皇族の方々の御好意あっての事です。
   改めて両名に感謝致します。 ヴェーダルト皇帝・リベリオン閣下、そしてクローディア皇太子殿下。]


   アーサーは一方を向いて深々と頭を下げた。
   会場の全員もその方向に向かって、成るべく深く下げる。
   その方向にいる初老の男は、高い王座に座り、荘厳な威厳が覗える。

   黒衣の皇帝・リベリオン・ヴェーダルト・ヨニ・イスカルオル。
   『捕虜』の間では悪徳皇帝と罵られている程の、著名な者だ。
   彼が王位を継いでからと言うものの、その無慈悲さ貪欲さからヴェーダルトも悪徳国家と見なされてしまったのである。
   『捕虜』の王政を始め、各国の侵略等と国を世界規模の大国へ伸し上げたが、その繁栄こそ多くの怨恨を買っている。

   その皇帝の隣に居座るは、同じく黒衣の皇太子のクローディア。
   顔は仮面で隠しているため、その素顔が醜いのか美しいのか、男か女かというのも公表されていない。
   『謎』の魔族である皇子にも国民は畏怖と共に疑問を抱いていた。

   更によく見てみれば、二人の後ろに控えているのは昼間に会った大僧正である。
   彼の表情はどことなく、寂しげで険しい。


  「アーサルトよ、朕への礼はよい。 それよりも今年の舞の出来を拝ませてくれ。」


   舞に入れ込んでいる皇帝に対し、皇子は興味なさげにそっぽを向いている。
   皇帝の深く重たい声は鉛のようで、ムシュリカはカッと手に汗を握る。
   しかしアーサーの様子は飄々として、


  [ かしこまりました閣下。 それでは皆々様、心行くまで『豊穣の舞』をとくと御堪能下さいませ。 ]


   そう告げると多くの人々の拍手を迎えながら、さっさと退場した。
   同時にあたりは暗くなり、ムシュリカを含め三人に光が当たる。

   何かと思えば月明かりだった。
   天窓から冷たい光が、三人に当たるように調節されていた。



  『君の詩。 期待してるよ。』

   開演前の彼の最後の応援が、ムシュリカにズシリと心に重しを掛けた。

   はじまる。
   ムシュリカの心臓の高鳴りが最高潮に達する。
   視線が、舞台のムシュリカに集まる。



  (・・・ああ、歌わなければ。)

  (・・・でなければ、何のために私はここへ来たのか。)



  「・・・(あ・・。)・・・。」


  (声が、・・・出ない・・・?)


   こんな大事な時に、歌うはずの歌の詩を声を、ムシュリカは忘れてしまった。

  「・・・・・・・・・・・・・・。」

   目の前が真っ白になる。
   遠くで見ているアーサーの表情が、徐々に不安に変わった。
   彼もムシュリカの緊張は読み切っていたが、ここはムシュリカ自身が何とかしなければならない正念場だ。
   ムシュリカに賭けるしか無いのだ。


   儚くて、柔い響きが耳をくすぐる。
   『奏姫』が音を弾き始めたのだ。
   それと同時、『舞姫』も身体中から音を奏でる。

   『舞姫』の力強く華やかな様に、自然と目が行く。
   氷のような、水のような、しなやかで軽やかな足取りは小川の様に流れていく。

   雪、淡雪の柔らかさ。
   そっと触れてはすり抜けて、握れば硬くなる希有な様。

   衣装に縫い付けてある小さな鏡は、月の光を浴びて星の様にその場を照らす。
   
   音としてはある『奏姫』の音は、それの付属物でしかない様に思える。
   その音は常に『歌姫』と共に裏の力を発揮するのだから。

   だが、その『歌姫』は、暗く孤立した中で止まっていた。
   孤独と恐怖に一人、暗闇と戦いながら。



   丁度その時、静かだった筈の空間に何故か多くの人々の喧騒と、一点通った悲痛な声がムシュリカの耳を掠った。


  (何の音だろう? 誰の呼ぶ声なの? 何で回りはこんなに暗くて冷たいのか?)


   ただ、知っている。
   分かっている筈なのに、思い出そうとは思わない。


  (辛くても痛くても、その声を聞き続けて)


   誰かが、呼びかけている。
   知ってて分からない誰かが、ムシュリカに語りかけてくる。


  (どうか貴方の謳が世界中に届きますように。)


   様々な思いが一斉に頭に走ったが、混乱しきったムシュリカの中に答えは出なかった。
   悲しくて愛しさのつまった、この泣きそうな声に諭されながら身を任せるのだ。


  (いい、それでいい。)



   いよいよ歌い始める時、無意識に自然と口が開き、風を流した。
   微風が、ムシュリカに集まる。


  (それでこそ、アナタらしさなのだから。)


   歌こそが、私に科せられた命だから。






  『愛まみえ、天空を従えし者、彼の名は神の御名。

   月に酔いては宵を欲し、日を思うては影を恋う。

   風を抱けば天空を仰ぎ、秘めし心を祈り謳いし。』




   アーサーから教えを受けた筈の歌はどうしたものだろう。
   しかし、曲にも舞にも支障が無く、他の姫達も戸惑うことがなかった。
   例年とは違う歌詞に、会場中が注目する。




  『遥かな中ツ国へ、憎悪・懸念・孤独を吐露し嘆きとも、

   思い巡りて血涙枯らし、 伝説・伝承を紐解き、いざ楽園へ旅路の時。』




   自然と喉から言葉があふれ出る。

   とても悲しかった。
   涙も溢れ出そうだった。
   誰が為でなく、紛れもなく詩の為に。

   曲は激しさを増す。
   舞の異変と進化に、皇帝も魅入られていた。




  『彷徨い辿り着いた地、それは名無き者達の石塚。

   彼は伏せ、嵐を巻き、数多の澪を生み、海原を仰いだ。

   その大地への慰撫に、再び声を嗄らして。』




   風が流れる。
   心を撫でて、涙を浚ってくれる春の風だった。
   会場では確かに、聞き惚れている者がいた。

   長い長い歌だ。
   童話のような物語を、ムシュリカは歌っていた。
   切なさ、激しさ、温かさ、苦しみ。
   それらが混ざり合った、脆い『心』。


   誰に教わった訳でなく、いつしか知った、子供じゃなくなった時に。


   つまらなそうに、淡白な反応だった皇子も、いつの間にか面を正面に向きなおして、『歌姫』の方を見据えた。
   
   歌詞の違いに多少戸惑ったサリネではあったが、曲調も音も落ち着いたその歌に安堵をもたらした。
   そして心が満たされるような心地に、『歌姫』の方へと自然と身体が動いてしまったのだ。



   それは伝説を元にした物語。



   多くの種族たちが血を流して、目的もわからずに戦い続けた。
   意味を為さない報われぬ地獄。


   その地獄の中、うまれた救世主。

   その貴人は、神の息子であった。


   風のように速く走るその様は、無敵を誇る。
   覇者であったその者は、やがて世界に名をはせる偉大な覇王へとなる。

   仲間との別れ。

   愛しき者との出会い。

   掛け替えの無い子供達の誕生。

   だが歳を取らない彼を残して、皆あの世へ旅立ってしまうのだ。


   ある日、不老不死の彼が新天地を知り、その大地に思いを馳せ、
   先逝ってしまった愛しき者が為、彼は旅を始めるのだ。




   曲は流れに流れ、ついに終局を迎える。

   黒い会場の中で煌々と咲く花は、何より美しかった。
   星や宝石とは違い、限りある命のある花。
   限界ある様を、だからこそ分かる美しさを、ムシュリカは拙くも表した。




  『天の台に向 求める手。 彼邂逅を望み 償い拾い続ける。

   偲ぶ心 それは輪廻巡りても生き続けり。

   彼の御霊が静まらん事を願いたり。』




   ・・・・・・・・・。

   ・・・・・・・・・・・・・・。

   長い物語と、長い舞が終わった。
   『舞姫』、『歌姫』 双方の二人は息を切らしながらも、強い視線に負けぬよう背を張った。


   しん。 とあたりが静かになる間、しかしそれは短く、次いで嵐のような拍手が辺りから飛んだ。
   遠くでアーサーは商人や貴族と握手をしながら、会釈をしている。
   我に返ったムシュリカは、その周りの変化に呆気に取られていた。

   曲が終わり、舞台裏へと戻った彼女達は皆の反応に戸惑ったけれど、それと同時に『舞姫』サリネに抱きとめられた。

   彼女は満面ではないが、笑顔で痛い位抱きしめた。
   その抱擁は苦しかったが、確かに分かる人の温かさ。
   人への態度が冷たい彼女にもある温度は、自然とムシュリカに涙を誘った。
   そして伝わる、賞賛と拍手と祝福の声。

   やっとムシュリカは『舞』が終わったことを実感できた。

   やっと、やっと終わった。
   とても怖かった、とても寂しかった。
   歌の喜び、自由の保障、脅威からの解放。

   サリネはその脅威に怯えていたムシュリカを労わる様に、そっと力をぬいてムシュリカの頭を撫でた。
   ムシュリカにしか聞こえないように耳元で

  「がんばったね、ムシュリカ。」

   と、最上の言葉も添えて。



   *



   アーサーの元にサリネとムシュリカの事を尋ねる者が度々訪れた。
   彼は誇らしく、また大げさな態度で二人を賞賛したものだった。(誰が聞いても過大すぎる評価で。)

   アーサーに限らず、ムシュリカ達に直接会いに来る者達も多かった。
   魔族の者々と話すのは少々気が引けたが、そのお陰かムシュリカはこの独特の雰囲気に慣れつつあった。


   やっと人気も去り、食事を再開した二人は漸く会話を始めた。


  「・・・『舞』は、うまくいったんだね。」

   今更サリネに問うた。
   『舞』の余韻は未だ収まっていない。 むしろますます高まるばかりである。
   まろやかなクリーム和えの魚を口に少しずつ運んでゆく度、笑顔が綻んだ。
   城の人々が、このような素敵な食事を毎日食しているのが甚く羨ましいと思う。

   ムシュリカが食事に堪能しつつあるなか、先程の質問にサリネは何も答えない。


  「サリネの舞・・・本当に綺麗だった。 本当だよ。」

   途切れ途切れにムシュリカは様子を伺うように聞く。

   そうして曖昧な記憶を辿りながら、先程の出来事を思い出す。


   たった数分謳い上げる。
   それだけで拍手喝采、そして自由だ。

   今までの者達もそうして自由を手に入れてきた。
   自分達もこれから、夢に見た『自由』をこれから手に入れるのだ。
   だが、サリネが『舞』に自信が無かったというのは違うようだ。

  「ありがとう、ムシュリカ。」

   ただ一言それだけだが、ムシュリカは嬉しく思う。   
   しかし彼女の顔で伺えるのは、舞直前まであった険しい顔だ。

   『嬉しくない。』

   ムシュリカは黙って話を止めた。

  「別に嬉しくないわけじゃないよ。 ただ少し、話をするのが疲れただけだ。」

   前者は嘘だと直感した。
   だが先程の舞と話をすることでの気遣いで疲れているのは本当のように思える。
   だが、サリネの顔はそれだけでは無い事もわかる。

  「今まで違和感がなかった。 これで自由が手に入る。 それが少し不思議でさ。」

   何がおかしいのか。 最高の栄誉とともに手に入る『自由権』。
   それになぜ納得がいかないのか?

  「こんな事しなくたって自由にはなれる。 そう思うと、私達のしている事って遠回りな気がしたんだ。」

   無駄という事。
   ムシュリカはサリネを見たが、すぐに下を向いた。

  「ムシュリカ、本当はみんな気づいていいと思うんだ。 『舞』なんてしなくたって捕虜は自由になれる。
   現にあんたの代理役。その逃げた娘だってどうなってるかは知らないが、『捕虜』からは自由だろ。」


   捕まったら、只じゃおかないだろうけど。 と、付け加えた。
   ムシュリカも知っていた。
   毎日当たり前な日々を送りながら、捕虜の仕事をこなしていく中、何かに納得できない事に気づいていた。

   普通じゃない。

   否、普通の差異は果たして何なのかはわからないが、少なくとも思想も夢も限られている。
   でも皆が普通の振りをしている。 それは恐ろしいからだ。
   反乱やストライキを起こそうなど、それこそ只ではおかない。

   魔族が圧力を加えている。
   それ故に彼らを憎み、恨み、また妬む者が後を絶たない。

   宗教という型で人間に説き、彼らこそ尊く聖なる者と言う事を、信仰という鎖で縛っている。


  「だ、が。
   自由になればそんなモノともサヨナラだ。」

   サリネはいきなり表情を変えて、話を区切らせた。

  「もちろん後に残された奴らの事考えれば苦い気持ちも在ると言えばあるけど、それもいつか思い出に変わる。
   あんたは考え過ぎる子だから皆の事もあるだろうけど、忘れてしまえばそれまでだしね。」

  「たしかに・・・そう、かもね。」

   ムシュリカの声は低い。
   しかし、それは本心と本質に値する。
   皆が好きだから後ろめたくて、残った者。 其れは居なかった。(サリネは例外であるが)
   ムシュリカも自由に慣れるという高揚感に浸りすぎた所為か、マニカ達の現状を忘れそうであった。
   彼女達は、『捕虜』のままなのだ。 サリネは、彼女は異色だ。

  「いつか反乱軍が事を起こす前に、捕虜が解放となるか・・・それとも。」

   ムシュリカは再びサリネを見る。 反乱も無しに、捕虜が、自由になる?
   其れは有り得ない。
   どのような方法で? どのような日に?


   『其れは、どう言う事なのか?』

   と、サリネに尋ねようとした時、アーサーが二人の傍に居た事にムシュリカは気がついた。
   冷や汗が流れる。
   サリネの顔は、より歪んでいる。
   聞かれた、だろうか。


  「やあ。 二人とも楽しんでるかい?」

   多少陽気で、少し顔が赤いと思ったら、彼の吐息に酒の臭いも混ざっている。
   その証拠に彼の右手には空のグラスがあった。

  「何の用だ、酔っ払い・・素面に絡むな。
   目の上の短こぶと一緒にいれば飯が不味くなる。 あっちへ行きな・・。」

   『しっしっ』と動物を追っ払うかのように邪魔扱いし、サリネは顔も向けずに散々悪態を吐くと不機嫌そうに食事の手を進める。

  「あの、お水を・・。」

   ムシュリカは銀の水差しから、冷水をグラスに注ぎ、アーサーに差し出す。

  「いや、お気遣いありがとう大丈夫だ。 意識はハッキリしてるし、気持ち悪いわけでもないから。
   というか俺を気遣ってくれる人って、ムシュリカちゃんだけだよ・・。」

   と、何気に肩に手を回すアーサー。
   サリネはそれを乱暴に退かす。
   ああ、矢張り酔っているようだ。 ムシュリカは再び水を薦めた。

   ムシュリカに薦められた水を飲み、漸く酔いが醒めてからアーサーは話を始めた。


  「ここに来たのは、君達二人に用があってだ・・。
   いや・・・不評報告なんかじゃないよ・・。
   その逆に、僕のもとに来る奴みんな、ムシュリカちゃんの事で尋ねに来るんだよね。
   うちの歌手にとか、うちの秘書にとか、うちの小間使いにとか・・。」

   ムシュリカは苦笑する。 正直どの家の所にも勤めたくない。
   アーサーもそれを承知してか、全て断るのに手を焼いたらしい。

  「一応僕、上級魔族だよ? 僕への顔出しはまだ分かるけど、ムシュリカちゃん目当てってどうよ?
   ・・・僕、妬いちゃう・・。」

   軽蔑した目でサリネは睨む。
   サリネの様子が分かっているアーサーは笑顔で応じ、また水を飲んだ。
   そして何時になく真面目な目で二人を見た。


  「ねえ、ムシュリカちゃん。 大成功した事には異論はないよ。
   大反響を起こして、うちのジェリーベル家の評価も上がったし、皇帝陛下も喜んでいた。

   でも、

   あの『歌』は?」


   ムシュリカの顔から笑顔が消え、サリネの食事の手も止まった。
   言いつけ通りの、散々練習した歴代から続く『歌』を忘れて、思うままに歌ってしまったのだ。
   『豊穣の舞』の歴史を覆した掟破り・・・。 もしや罰を下すのか?

  「文句をつけてるんじゃないよ、怒りに来たわけでもないんだ。
   年々続けている所為か、みんな不満足って感じの空気が近年見られてたし。
   素直に褒めているのさ。

   ただ、 僕は『あの歌』は何処で知ったものなのかなぁってね・・。」

   きょとんとして、ムシュリカはアーサーを見る。
   歌、舞の時にムシュリカがずっとしていた事。

   その『詩』は、それはどこで?
   何時覚えたものだろう? あの切なくて温かい、風の歌は。

  「わかりま、せん。 私、頭の中がぐちゃぐちゃで、意識が途切れないようにって精一杯で。
   あの時ただ、口や声が勝手に。」

   そんな意見通じるのだろうか?
   普通は気違いだ何だと反論をしてくるが、ムシュリカの正直な意見にアーサーは黙っている。

  「それは、無意識になったって事かい?」

   ゆっくりとムシュリカは頷いた。
   アーサーはグラスの水を眺めながら言った。

  「そりゃ大変だ。 うちはこんな天才を今まで放置していたのか・・。」

   天才。 過大評価に聞こえるが、ムシュリカには天才の正しい意味が分からない。
   奇知な力全てを天才と称するなら、魔族全員はそれに当たるであろうと思ったから。

  「皇帝陛下の傍にいた大僧正様がね。 あの舞台に君がいた事に大変驚いていられたよ。
   あの歌声も、その歌詩にも。」

   そういえばそんな人が居た気がする。
   記憶は薄い。
   ムシュリカは相づちをうって、アーサーに話す。
   アーサーは話を続ける。

  「やはりまた君と、いや君達とお会いしたいって。」

   姫二人は顔を合わせる。 サリネの顔は未だに険しい。

  「あたしは嫌だよ、宗教論者と話するなんて。」

   会話がかみ合わないと思うし、とサリネはアーサーに言った。

  「何もそこまでなぁ・・・君ももう少し色んな奴と緩く付き合っていかないと・・・。
   と、そうそう。 君たち 姫』は後で皇帝陛下との面会があるんだよ。」

   ぴた、と二人の動きが止まり、アーサーを見る。
   丸で取るに足らない出来事のように言い放ったが、無視は出来ない。
   サリネの顔が引きつっている。 より一層険しくなった顔に、「嫌だ」との返事が読める。
   ムシュリカも多少は嫌だが、どちらかと言えば恐ろしさの方が上まる。

  「あー・・・二人共そう言う顔すると思ったよ。
   書く言う僕も正直言えば苦手の部類に入るし、今までの舞の歴史の中には無かったことだしね。
   ・・・でも、・・・陛下直々のご命令だ、言いたい事は分かるだろ?」

   頭をかきながら、アーサーは二人に言った。
   サリネは勢いよくサラダにフォークを突き刺して、食事を続けた。
   そんなサリネの様子を見て、アーサーは付け足して言った。

  「恐らく、褒めるだけだと思うよ。 別に何かを背負わすわけじゃないし。
   刑罰とかじゃないんだから・・・そう意気込まなくても大丈夫だよ。」

   アーサーは安心させるようにムシュリカの肩を軽く叩くが、ムシュリカの心は一向に休まらない。
   サラダを食べつくしたサリネは問う。

  「面会って・・・全員だよな・・。」

   恐る恐る、といった感じである。

   皇帝に会う。
   下層階級の者が上層階級のものに面会するなど今まで考えられなかった事だ。
   考えられないことだ。
   ムシュリカも嘘か冗談のように思いたい。

   顔も拝んだことが無い。
   上層階級は下層階級に面を表さない、下層階級は拝むことを許されない。
   干渉してはならないと、 『捕虜』 のムシュリカは自身に定めてた。
   それが許される場、それが 『夜会』 なのだ。


  「アーサーさんは、度々陛下に謁見してるのですね。」

   下を向くムシュリカ。
   声と食欲は、一層沈んでしまった。

  「ああ。 聡明で、寛大な方だよ・・。」

   どこか遠くを見るようにしてアーサーは何かを見つめている。
   聞かれたらまずいのでは、と思ったが、今この夜会で三人の話を聞いている者はいない。
   魔族はみな強欲の自己主義者だ。 それは人間と似て非なる者達。
   それに全員気付かない振りをしている。 この国の捕虜たちの心も。



   全てを統治する皇帝。
   彼もまた何一つ知りはしない。



  「面会時には僕も付いている。 それまでに食事を終わらせておいてくれ。
   『歌姫』、『舞姫』は、『前宴夜会』ホールの正面扉に夜会終了時に集合だ。」

   アーサーは二人に告げると、再び人込みの中へと紛れていった。
   まだ残された仕事に、ムシュリカは再び顔を不安にさせるのだった。

   ムシュリカの夜は、未だ長く続く。





   了