ラクシュミ 〜221譜の讃歌〜
『序章・携行夢魔』:後 Randagio
*
「いいよムシュリカちゃん。 入りなよ。」
ムシュリカは中にいるアーサーに多少戸惑ったものの、ゆっくり扉を開けて中を伺い見るように顔を寄せた。
ああ、先ほどまで談話していたのだろう。
二人は友人との話だが、これほど仲が良いとは思ってなかった。
クローディアと彼は対照的な二人だ。
皇太子の彼が夜と表すならアーサーは昼のように。
この水と油のような二人が、趣味が合い長い付き合いというのは意外だ。
「ア、・・・アーサルト様。 先ほどまで皇太子様と・・・。」
アーサー様と呼びそうになった自分を止めた。
邪魔をしてしまっただろうか。
と、脳裏をよぎったがアーサーが奇麗に否定してくれた。
「いや。 僕は今ここから出るところだったから心配ないよ。 それよりも・・・、」
アーサーは視線をクローディアに移した。
彼が不機嫌なのは、遠くからでも分かる。
「アイツさ、珍しく待っていたんだ。早いとこ用事を済ませちゃいなよ。」
ポンと彼女の肩を叩いて、アーサーは微笑む。
きっと何時入ろうかいつまでも立ち止まっていたのだ。
緊張してるのだろう。
ムシュリカの体は冷たく強ばっていた。
「落ち着いて。 君ならきっと大丈夫。」
そう一言告げて、今度こそアーサーは退室した。
風のように通り過ぎて、ムシュリカはその途端に立ち去るアーサーの姿を目で追った。
カチャンと金属の重なる音がして部屋には二人残った。
追いかけたのは、ふっとした違和感。
思い出せば前も謳う前に誰かに諭されるように励まされた事があったのだ。
アーサーの言葉と重なり、それを追いかけたかった。
一体、私は何をしているのだろう。
クローディアと二人きりになったからアーサーに縋ろうとしただけではないのだろうか。
怖さの逃げ道に彼を引き止めようとしただけだろう。
その口実だろう。
そう思うと無性に自分が情けなくなってきてしまった。
ムシュリカは俯いた。
「何をしている。 ここへ来い。」
冷たい声がムシュリカを正気に戻させた。
他無い、ここへ呼び出した自分の主のものである。
振り返ればクローディアは珍しくムシュリカに視線を向けて話しかけていた。
手元にあった本も今は寂しくテーブルの上に放り投げられてある。
ムシュリカは段上の彼を見上げる。
正に彼は月明かりに照らされた佳人だ。
サリネに言った自分自身の言葉を今更ながら恥ずかしく思った。
一歩一歩、彼の元へ近づいていく。
それは不思議と恐ろしさや不安は無く、むしろ落ち着いている。
「先刻言った通りだ。 ・・・謳え。」
目の前の彼に圧倒される。
幾度となく彼のそばに居て何度と思い知らされる。
しかし、それでもムシュリカに恐怖は湧かなかった。
記憶があった。
そう、たった今思い出した。
この不思議な気持ち。
そう、思い返せば『豊穣の舞』の正に謳う瞬間。
あれほどあった恐ろしさが風にさらわれたように落ちてしまったのだ。
あの時の気持ちと同じだ。
「・・・・・・はい。」
あまりに返事が遅れた為に、クローディアは怪訝そうな顔をする。
「記憶の猶予は与えた筈だ。」
憶えきれてないという訳ではない。
十分とは言えないがムシュリカになら解読できるし、曖昧な形で残っていれど旋律に乗せれば分かる。
ムシュリカは、自らの衣服を掴む。
謳う不安故ではない。 謳っていいのかどうか戸惑っているのだ。
返事が無い事に異変を感じ取ったクローディアは彼女の手首を掴んだ。
今までに無い、彼が直接ムシュリカに触れてきた。
彼が直に『人間』に触れた。
その事実に目を開いたが、当のクローディアは引きずるように天蓋付きのベッドまで連れ行った。
止まるなり手を離すとクローディアは倒れるようにその場に寝転がった。
ムシュリカは突然の出来事に頭が追いついていなかった。
横たわり月を仰いでいる彼を見る。
「・・・見下ろすのはどんな気分だ?」
そう。
その二人の位置からは、ムシュリカは立っている為、見下ろす形になっていたのだ。
我に返り慌てるとベッド下の床に座りこんだ。
「も・・・申し訳御座いません!」
恥ずかしそうにクローディアから目をそらした。
しかし彼はその事を気に病んだ訳ではないようだった。
彼は何も言わずに、ベッドの端を指差した。
差す方向を見て、何が言いたいのだろうと考えようとすると、
「ここへ座れと言っているんだ。」
と、彼は指示した。
「・・・宜しいのですか?」
『座れ』と指示されている場所は皇太子の寝床である。
ムシュリカは今は『皇太子付き』と言えど、事実『捕虜』上がりという事をちゃんと弁えている。
座った途端に身体が萎縮しそうだ。
「構わん。座れ。」
本人がいいといっているのだから良いのだろう。
最後の最後まで戸惑ってやっとの事座った時、ムシュリカの重みが一気に落ちた。
彼のベッドはムシュリカが普段寝ているのとは質が違う。
それでも彼女のベッドも『捕虜』だった頃の時と比べればかなりマシになったものだし上質なのは見て分かる。
彼のは、それの最上級だ。
かなり柔らかく、形を保っているのが信じられない造りだ。
「・・・・・・。」
それでも今からやる事を考えると考えが止まってしまう。
だから彼との気まずい無言がとても辛い。
何時謳い始めていいのだろうかと悩み、ムシュリカが踏ん切りに出れない中、―-―彼が切り出した。
「答えを知りたがっていたな。」
仕方なくといったように、彼はムシュリカに言った。
彼は、仰向けになって目を薄ら開く。
漆黒の瞳が月明かりで藍色に見えた。
悲しい色合いだ。
「・・・城に訪れ部屋まで着き、こうして会話した『人間』など今まで居なかった。」
ムシュリカは、口を挟まなかった。
これは、彼の独り言か何かなのだろうか。
何にしても聞いていた。
「『皇族』の部屋に招き入れる者は『上級貴族』のみ、ましてや『人間』なぞ論外。 今までそれは無かった。
・・・ただ一人、『皇太子付き』と言う役職の者を除いては。」
『皇太子付き』の役職を自覚させる為にここへ呼び寄せたと言うのか。
彼の話は続いていた。
「私は、・・・俺は元来他者との面会は好まない。 祭日の際には面を備えるのはお前も知っているだろう。」
そう。 彼は他人に対してと極端に拒絶的で、それでいて冷酷だ。
決して素顔を見せないのだ。
彼の一人称が『俺』と変わっている事を忘れて、ムシュリカは話に聞き入っていた。
「その為か理解しきれてないのだ。 お前達の世界の事が。」
彼へ向き直る。
彼は未だ天を仰いでいた。
つまらなそうに彼は話し続ける。
聡明な彼が、ムシュリカ以上に世界を知っている彼がこんなことを言う事がなぜか分からなかった。
彼は冷たい人間だ。
冷血と評されるサリネも冷たい奴と指されるが、核心は思い遣りのある感受性の強い人間である。
彼にはそれが見えない、その欠片さえ掴めない。
サリネが雪なら、彼は氷のようなものだ。
どこまでも鋭くて硬くて、痛さしかないような。
いよいよ彼が何者なのか分からなくなってくる。
クローディアは何を求めているのだろうか。
呟くように彼は続けた。
「ただ、知りたいと思った。」
視線がムシュリカへ移った。
二人は見つめ合った。
「だからこそ、俺は『皇太子付き』を欲した。」
彼は彼女に断言するように言った。
「俺の目の代わりであり、俺の世界の幅を広げるものであり、真実を伝える者。 それに選ばれたのがお前だ。」
なんて、なんて我が侭。
他人を拒絶して否定する癖して、それでも他の何かを求めるなんて。
その彼の我が侭と欲望をムシュリカは担うのだ。 これから。
彼は起き上がって、月を見上げる。
ムシュリカはただ彼の言葉に放心して、彼の言葉をひたすら拾うだけだった。
「作ったはいいものの『皇太子付き』と言う者は俺の顔色をうかがうばかりで、俺に何一つ伝えようとしない。
それどころか避けようとする。 ・・・結局作った所で、俺も奴も本質など見ようとしなかった。」
彼も歩み寄ろうとした時があったのだろうか。
クローディアの言葉は、今のムシュリカとの事を指しているようだった。
胸が締めつけられるような苦しさが生まれた。
「世界を知る前に俺は人を知らなかった。 アーサルト以外の他人を俺は受け付けなかったからだ。
かといって俺は他者と無闇に関わる訳にもいかない。 俺の世界は、アーサルトの知る世界のみだった。」
ムシュリカは彼がアーサー以外の者と談笑するなど見た事が無かった。
それはただ単に彼が人嫌いだと認識していたが、 そうではなかった。
そう彼は、
誰一人信用できないのだ。
彼は好きと思える者が居れども、心を許すわけにはいかなかった。
彼の世界では、彼以外の者全てが敵なのだから。
ムシュリカは何だか遣り切れなくなった。
彼に何をしてあげるべきなのだろう。
確かに孤独ではあるけれど、それに苦しみも辛さも感じない。
無意識の寂しさと言うものを二人は、気づいていない。
ムシュリカに出来る事など、長命なクローディアにとって一瞬の事なのだろうに。
誰も信じられない彼に、何ができよう。
ムシュリカは無性に悲しくなる。
誰が為でなく、自分自身とクローディアに。
絶対の孤独に二人は取り残されているのだ。
見える世界は目の前にあると言うのに。
「俺が恐ろしくてたまらないのだろうと、昼に言ったな。」
突然触れられた話にムシュリカは思わず俯いてしまった。
これでは肯定しているのと同じではないか。
せめて答えたらどうだ。 と、褒めてるのか嘲っているのか分からない返答を彼はした。
「お前が、いくら俺を恐れようと、お前の『自由』と『命』は俺の手中だ。
逃げようにも逃げられない。 かといって避けられるほど容易いものでもない。」
初めて会った時と同じことを言わなくとも、そんな事は分かっている。
ムシュリカの絶対の脅威は目の前に居るこの皇子なのだ。
いくら孤独中に居れど、ムシュリカとクローディアは持つ世界が違う。
「・・・怖いです。 私は、貴方が怖いです。」
ムシュリカは漸く心の内を彼に伝えた。
返事が遅れ、話題もそれているのにも関わらず。
それでも言葉にしたのは、この場で言わなければならないと思ったから。
「だろうな・・・。」
一つ間を置いて彼は答えた。
互いの間に、苦い空気が広がった。
ムシュリカはもうまともにクローディアの顔を見る事が出来なかった。
彼へ対してあまりにも申し訳なくて、恥ずかしくて怖くて。
もうクローディアと顔を合わせられない。 そう思ったのだ。
そのクローディアはムシュリカの答えを真摯に受け止めているようであったが、
「それでも、」
彼は本心を聞くと、彼女に問おうと思ったのだ。
「それでもお前は足掻くのか? 隔絶した坩堝から抜け出したいのか?
恐ろしい者である俺に仕え、この世界で生きていく覚悟をお前は持てるのか?」
試しているのだろうか。
それは今に始まった事ではない。 だが、答えは決まっていた。
アーサーと約束を立ててしまったのだから。
静かに決意したようにムシュリカは言った。
「・・・いつも皇子様は、勝手です。
『離れろ』と命じれば『近くに来い』と命じたり、貴方の事が嫌いになっていく自分を見て見ぬ振りをしてました。
だから私は貴方に近づきたくなかった。 関わりたくなかった。
貴方を忘れたいと、どこかで思ってた。」
優しさの欠片など、これっぽっちもないような彼の言葉。
投げかける言葉は氷か鋼の刃のよう。
クローディアを考えれば、醜さが滲み出てくる心。
知りたくなど無かった。
自分にも人を貶し軽蔑する感情がある事を認めたくなかった。
特に自分の主人には。
「いつまでもこんな毎日が続く位なら、いっそ城から逃げようと考えた事もありました。」
でも、そうしたくなかった。
ここへムシュリカを置く事になったアーサーに迷惑をかける。
そんなのは建前だ。 どうしても抜け出せない理由が出来たから。
「今でも私がここにいるのは・・・皇子様が私を見つけて下さったから。
アーサー様だけではない。
貴方が私を見てくれたからです。」
顔を反らされるのは、慣れていた。 でもやっぱり苦しかった。
ムシュリカは特異な髪と歌声を持っていたのだから。
仲間内からも白い眼で見られるし、『魔族』でも蔑視されていた。
「ここで生きてみたいと思いたい。
だから貴方の事も『嫌い』以外の何かを見つけたくなったんです。
・・・それに、」
さあ、伝えよう。
彼に私の真意と宣誓を。
「たとえどんなことが起ころうと、・・・私は、いつまでも私の夢を持ち続けます。 そうすべきと誓いましたから。」
『自由』を奪われても、それだけは奪わせはしない。
それが、クローディアだとしても。
これは答えになっているのだろうか。
それにハッキリと『嫌い』とクローディアに言ってしまった。
自分で答えておきながら、自分の言葉に後悔する。
何故こういう答えしか知らないのだろう。
単純な言葉。
だが、その『夢』が彼にとっては程遠いものなのだ。
彼は語るのを止めて再び無言になった。
ムシュリカを一瞥してまた仰向けに寝転がった。
何か言葉をかけてやったらムシュリカはまだ安心できただろうに。
威圧感は部屋に入った時と比べると、より穏やかになった気がする。
気まずさはより深まったが。
話の続きと彼の答えを未だ聞いていない上、ムシュリカもいい加減もどかしかった。
「・・・遥か昔、世界が創世記と言われた時の時代だ。」
彼は突如語り始めた。
ムシュリカが彼へ向き直る。
「その時代、言葉も文化も数多あるため互いが衝突し世界は瞬く間に戦火に燃えた。」
ヨニ教の経典の話だろうか。
彼は詩の一節を謳うように語り続ける。
「世界中が憤怒と怨恨に染まり、いよいよ世界が終わろうとしていた。
多くの種族が恐れ悲しみに暮れた時、天から神が降臨した。
名は知らんが、恐らくそれらしき者が来た。
そして行ったそうだ。 詩を謳うことにより戦火を一蹴し、種族達を一つに纏めて世界を再編した。
これが『歌』の起源と聞く。」
唖然と彼を見る。
普段から行っている事が、そのような壮大な出来事により生まれたものだと信じられないのだ。
「世界で初めて生まれた『歌』だ。」
話が終わったのだろう。
彼は再び天井の月を眺めた。
「この世で最も古く壮麗な『歌』。 お前も知りたいと思わないか?」
お伽噺であろう。 『歌』などそれ以前に生まれているに決まっている。
だが問われれば、知りたいと思った。
彼のいう『遥か』はどれくらい昔の話なのか計り知れない。
とても素晴らしいものに違いない、だがそれ故に戸惑いもある。
そしてムシュリカは気がついた。
彼がムシュリカに文字を学ばせていた理由が。
「何万冊と数多くの書籍を読もうと、それの手掛かりは一向につかない。
お前の力が、お前もこの途方も無い夢を持つなら探してもらいたい。」
―--世界で最も尊い詩を。
人間の一生分では探し切れないであろう伝説の賜物を。
ムシュリカにも探してもらいたいと言うのだ。
「私は、・・・貴方ほど長寿ではありません。 貴方のご命令を叶えられないのかもしれない・・・。」
主人の前で何て事を言っているのだろうか。
それは、ムシュリカ自身クローディアに心を許し始めている予兆だった。
同時に気づいてもいた。 これは命令ではないのだと。
人間の寿命など分かりきっている事だ。
聞き方を変えれば、一生ここに縛り付ける事なのかと思う。
だが、それは絶望の意味ではない。
アーサーの時と同じように。
「だが『舞』の時、お前の『歌』で確信した。 その『歌』を俺に謳ってもらいたい。」
彼が、初めて彼女に望んだ時だった。
ムシュリカは息をのんだ。
「在るがままの『世界』を俺に見せろ。」
彼は歩み寄ろうとしているのだ。
一縷の望みを、ムシュリカに託す為に。
『世界』を知る為に。
「お前の言う『夢』と言うもの。 俺に謳え。」
そしてクローディアはムシュリカの詩を望んだ。
彼女の心を知る為に。
*
彼から託された書物、その中の記述にあった『アシュラゴ鎮魂歌』。
何故それを指名したのかは分からない。
ただこの詩を知った時、彼が冷たいだけの者ではない事を指していた。
私は、それを彼の為に謳う。
この酷く悲しく苦しい詩を彼へ贈るのだ。
「『アシュラゴ鎮魂歌』。 大いなる魔神を鎮めるが為に、一人の女が人柱となって捧げた詩だ。」
彼は私の手にある手記を見て言った。
これを眺めていた私の考えていることを大方言ったのだろう。 当たっている。
彼に本を手渡して栞の頁を開いた。
そこにあった『鎮魂歌』、対なす頁に『再誕歌』。
史実では二つとも同時に謳われた詩だと聞く。
「『神』とやらを愛した女が、離れがたさに引き出したのが『再誕歌』らしい。
・・・どこまでも都合がいい。」
彼は下らないと思っているのだろうか。
私はそれだけの感想では腑に落ちなかった。
理由は無いけど、神様がいるなら世の中はもっと酷くなっていると思うから。
この世界に居るのは神様じゃない。
様々な種族達とそれに連なる文明と有り余った生命達だ。
「創世記より生まれし『贖罪』を表した詩。 それは呪詛に近くて遠いもの。
俺は『魔族』故に感情とやらが疎いが、お前には通ずるものがあったか?」
本当にそうなんですか?
アーサー様でさえ私たちと変わらず関わっているのに。
閉鎖的と貴方が思ってるだけかもしれないのに。
貴方は本当に真実を言っているのですか?
顔に出ていたのだろうか。
彼は目を細めた。
「私は、この女性ではありません。 ですから完全に二方が伝わり合ったのかも分かりません。
でも思う限りで、彼女は・・・人としての最高の謳い手だと思いました。」
本心だ。 手記と前文を覗いて見て、素直にそう思えた。
とても素晴らしく美しい伝説だった。 甘美な絶望の前に呈示された残酷な希望。
私では到底辿り着けない世界に到達した人。
「最高・・・か。」
何かを思い出しながら私の言葉を感慨深く感じているみたいだった。
皇子様はこの『詩』で何を思ったのだろう。
「『最高』と思えば『最高』なのかもしれない。 だがこれは『最低』の歌とも言える。」
最低と説く。
その最悪の詩を私に謳わせて、わざわざ気分を害したいのか。
ますます分からない。
「この詩を、・・・お前は謳いきれるか?」
それでも私は謳いたい。
この哀れな女性の物語を、私は謳い尽くしたい。
愚かしくも彼女をここへ呼び寄せたいと思ったのだ。
「なら・・・謳え。 それでも愚かしい『詩』に尊さを思うならば。」
静かに頷く。
義務と思えど、私自身の為にも。
謳いましょう。
貴方に寂しさが伝わりますように。
少しでも、感情に気づきますように。
欲望に盲目になった貴方に。
息を吸い込む。
直前になってから緊張が蘇った。
だけど同時に安心している。
ただ一人の為に謳うと言う事に、喜びを感じているのだ。
彼を恐れている私が。
(この世界を、思ってくれているから。)
謳おうとしていた声が止まる。
まただ。
頭の中に響く声。
苦しくて寂しそうな、優しい声。
(私を、愛してくれているから。)
私は愛したいから。
たくさんの人を、信じたいから。
(いくらでも、貴方の為に謳いましょう。)
ええ、何遍も何遍も謳い続けましょう。
足枷になるのは分かっている。 けれど、貴方がそれを望むのなら、
それでも、私は、
(私は、あなたの悲しみになる。)
私は、あなたの優しさになる。
『聲を 耳を 命を 御神に捧げよ。
吾は世界の審判者。 全ては眠りを誘うが為に。』
今は、二人きりの空間。
その中に、私の声だけが響き渡る。
恥ずかしさはあったけど、それ以上に心地良い。
『骨を 血を 魂を 剣に誓えよ。
汝は流浪の贄人。 全ては罪を贖うが為に。』
言葉があふれて止まらない。
留まりを知らない言葉は、胸からあふれて響きへと変わる。
彼の為の『鎮魂歌』を謳うのだ。
彼がひと時でも安らげる様に。
『さあ常夜を輪廻りましょう。 宵の導を数えましょう。
彼の膝元が燃え上がるまで、命の水を蒐集めましょう。』
果てのない言葉、限りない寂しさ。
目の前に居る皇子様は、天井の月を眺めながら私の歌を聴いていた。
『彼は死神 彼は創造主 彼は世界 彼は理。
御神生まれば怨嗟が、死せれば歓喜を謳う。
大地の根元に彼の人は眠る。 愁傷の坩堝を纏いて。
海原の深淵に彼の者は待つ。 甘美な契を抱いて。
さあ御眠りなさい、罪深き子よ。 星々は貴方を夢へ誘う。』
彼の神と言う人は、どうしてここまで嫌われなければならないのだろう。
尊ばれる者が、なぜ眠りにつかなければならなかったのか。
理不尽な理由で迫害を受ける事となった神に、哀れみを思った。
そんな神様を愛した人が、とある人間の女性だったのだ。
『地へ昇る術を思い、贖罪の奇跡を待つ。 彼の者の誓いを忘れて。
天へ戻る術を探り、彼は己の牙を研ぐ。 傍らの盾に気づかずに。』
謳う中、皇子様の顔が見える。
無表情だ。 何時だって何に関心があるのか分からない。
そもそも彼はそれを探す為に本を読むのだと言っていたが私は、
・・・私はそれでも貴方の瞳に深い何かが含んでいるように見えた。
『生の苦み、死の甘みを含み続けとも、彼に誰も祈らない。
壊れた意識、鎖の渋みを嘗め続けとも、 彼に誰も応えない。
さあ御眠りなさい、愛しい子よ。 苦しみも痛みも忘却に委ねましょう。』
創世記の闘争世界。
その大地は怨恨や哀切の意識が重なる度に神々が創られて、そして死んでいった。
末無き戦いの中のある時、破壊神と呼ぶ恐ろしい神が誕生した。
破壊神を好く者も近づく者もいる筈が無かった。
彼に祈る者さえ、この世には居なかった。
一時凌ぎの戦の波が去ったある時、一人の女と出会う。 遥か東の大地から旅を続ける舞巫女だった。
二人は忽ち惹かれあって、そして男と女の想いを通じた。
戦の時世で、神と人間の禁忌の二人であった。
お互い内密に心の内を明かしあい、愛を深めていった。
巫女は彼に剣を握る必要は無いと説き、彼も自らの内から芽生える『もの』に気付き始め、戦いを拒んだ。
自らの役目を忘れ、神々が諌め諭そうとしても彼は聞く耳を持たなかったのだ。
そうして神々が打った手段。
巫女を戦犯者として縛り上げ、処刑すると言う手段だった。
いくら残酷で不当な判決でも、彼女は甘んじて受け止めたのだ。
彼は激怒した。
見境無く街々や人々の破壊を行った。 彼に敵う者は誰一人居なかった。破壊者は彼一人だったから。
世界は破壊の危機を待った。ただ一人を除き。
舞巫女は悲しみに暮れた。 神々も困り果てた。
彼ら達しの願いで、破壊し続ける彼の元へ説得を願われた。
何と言う都合の良さだと思える。
彼女は破壊神の働きを見て、号泣した。
巫女の姿を見かけた彼は、抱きとめようと彼女に近づいた。 そして、
この『鎮魂歌』なのである。
鎮める為に彼に穿った彼女の呪い。 彼女の死に間際の詩。
『彼に燈りを灯しましょう。 彼を温め祈りましょう。
彼が深眠につくまで、大地を讃え崇めましょう。』
ふとした事に気がついた。
横たわっている皇太子様も眠りにつきそうだった。
この詩は、子守唄に近いものなのだろう。
夜会の詩と比べると力は微弱だ。
だがこれは、一人の者だけに謳うものなのだ。
『彼と心は惹かれあう。 彼と心は重なりあう。
それは二なりの華の様に。 彼と月は響きあう。』
彼は安らげるのだろうか。
謳い切る直前で、私は一瞬思った。
皇太子様とその破壊神に。
『地を歩け 天を仰げ 祈りよ届け。 我と汝は共に在り。
さあこのこの声と詩を聞き届けて。 共に宵の淵へと旅立ちましょう。
昨日と今日を願いながら、風と砂を抱きましょう。 永遠に。』
微かな意識の中、目の前の彼の表情と月明かりがあるだけで。
意識が飛んでいると言うサリネの言葉は間違ってはないらしかった。
詩が終わったと同時に彼は目を開いた。
沈黙が訪れた部屋の違和感を感じたからだと思う。
視線は私に向いていた。
『謳った後』の感覚は『夜会』の時を彷彿とさせる。
今まで何遍も謳ってきたが最近は不思議な気分になる。
謳いきった後は、どうしてか切ない。
何時までもそうしていたいと願っている自分が居る。
そう。 誰かの為に謳いたいと、私は願っているのだ。
「終わったか・・。」
聴いていたのなら分かっているだろう。
というより、この詩を指名したのは他ならない彼で、歌詞も知らない筈無いのだ。
夢現つ、という表現が合っているのだろう。
彼から威圧感が然程ない。
「はい。 ・・・如何でしたでしょうか?」
眠そうな御主人様に掠れるくらいの小さい声で尋ねた。
彼への配慮もあるが、一人で謳ってて恥ずかしかったと言うのもあった。
「何時聴いても、不可解な詩だ・・・。」
「・・・そう、ですか。」
少しだけ皇子様の気持ちがわかった気がした。
そんなに知り合った仲ではないけど、彼の言葉は本心でない気がしたから。
私は下を向く。 どうしてか皇子様の顔を見れなかった。
重ねている。 孤独な破壊神と皇太子様を。
伝説の中にある舞巫女程の大きな気持ちではないが私もそう思った。
「俺は、この詩が嫌いだ。 一方的な思いの詩だとしか思えん。」
そう思えません。
死の直前まで彼女が彼の為の詩を謳っていたのだと考えると、その思いは計り知れないもの。
一途な思いが訴える形で残っている。
だから、とても哀しいと感じるのでしょうか。
「私は『彼の神』の意思を無視してまで残したかった物が、彼女の中にあったからだと思います。」
きっと、貴方も気付いているのではないのでしょうか?
考えが言葉に流れ出た。
馬鹿。 彼に何て事を言っているのだ。
「残したかったもの? どんな物をだ?」
「私にもうまく言えませんが・・・。」
逆に問われた。 私は、そんな物分からない。
『愛』? 『慈しみ』? それとも『悲しみ』?
それら有耶無耶とした思いが、私の中に回った。
どれをとったって、彼の気持ちが癒える事は無いのだろう。
彼女は結局何がしたかったのか、私にも分からない。
「同じ『人間』のお前でも、分からぬ事は分からぬか・・・。」
ガッカリした事だろう。 でもそれが私の本心だから。
「・・・はい。」
謳う前から覚悟はしていた事だが、いざ直面するとなるとかなりへこみそうだ。
今が、とても辛いと思っている筈なのに。
「謳え。」
予感していた言葉は大きく外れ、彼からまた命令がでた。
この詩が、不快なのでは・・・?
確かにそう言ったのだ。 なぜまた聴きたがるのだろう?
「お前に通ずるものがあったからに決まっているだろう。」
実に当然とでも言う様に、彼は答えた。
私にはそれが理解不能だ。
「お前にしか、謳えん詩だ。」
不思議な答えだ。
記録に残る程の『鎮魂歌』なら、誰だって謳える物の筈だろう。
ああ、いい加減歯痒い。
思わす皇太子様に問うた。
「私以外にも適任の者がおりましょう・・・。 なぜ私が――-」
私が選ばれたのですか?
私にしか謳えない詩などあるものか。
誰だって詩は謳える。 私だけが特別な訳じゃない。
貴方を喜ばす詩など、貴方を恐れる私が謳える訳が無い。
彼にそう告げようと言った矢先、彼は起き上がって私と顔を合わせる。
ああ、何時見ても美しい御顔だ。
彼は真っ直ぐに私を見て、告げた。
「お前しか居ないからに決まっているだろう。
他の誰でもない。 俺がお前を選んだからだ。」
彼の言葉は、私を追いつめる。
私は皇太子付き。
この身有る限り、皇子様に尽くし仕える。 ただそれだけだと思った。
違う。 彼の言葉は重責を科す意味ではない。
彼の周りは、『孤独』と言う事をなんで忘れていたのだ。
皇太子様は、それすら気付かずに周りを求め、『孤独』に気付こうとしている。
ただ、それ以上に強く響いた言の葉。
それは彼の『選択』。
「『人間』が、 お前が謳う事に意味を為す。」
彼の言葉は、とてつもなく重い。
でも同じ位、悲しいと違う想いがこみ上げる。
「歌姫。 俺がお前を『選択』したんだ。」
もっと早く気付くべきだったのかもしれない。
ああ、だから彼にここまで許されるのか。
だから私は学ぶ事も、彼から離れる事も、城の散策も、彼に許されていたのか。
彼が選んだ大きな要因は分からないけど、それでも私を選んでくれた。
「俺は、お前に謳って欲しいんだ。」
それが彼の答え。 私を必要としてくれて、少なからず『人』に歩み寄りたいと言う事。
やっぱり、あるんじゃないか。
アーサーさんと同じように、彼にも暖かさがあるじゃない。
どうして私は彼を冷たい人と決めつけたのか。 彼を冷遇して、避けていたのは私の方だった。
だからこそ、分かる。
彼の今までの配慮。 それは決して冷たいものではなかったと言う事。
確かに、皇太子様に必要とされていた。 『人』でいる事を許してくれた。
「・・・あ。」
涙が溢れた。 止めどなく胸から何かが溢れるように。
ああ、皇太子様が見ているのに。
でも、始めて会った時の涙とは違う。
私は、彼の言葉に寂しさと違うものを感じている。
否、焦りと困惑もあるのかもしれない。 私はどうなってしまったのだろう。
「今度は何だ・・・?」
彼は驚きはしなかったものの、不思議に思っているらしい。
不思議なのは私の方だ。
「・・・すみません・・・申し訳ございません。 すぐに、治めます・・・すみません。」
そうは言ったものの、直ぐには治まらない。
嗚咽を漏らしながら答える私は何と無様なのだろう。
こんな状態で私は謳えるのか。
ごめんなさい。 ごめんなさい。
今までの自分を振り返って、私は彼に向かって謝り続けた。
『孤独』な中でも気遣ってくれた彼に、感謝の気持ちを込めた。
いつだって私は、私の事で精一杯だ。
皇太子様がどんな気持ちなのか、何を考えておられるのかあまり理解できない。
それでも彼は私の事を考えて、理解しようと歩んでいるのに。
私は、どうして情けないんだろう。
どうして鈍感なのだろう。
一方的に拒絶したって、彼は傍にいるのに。
「人間は何時だって、俺の理解を超えている。」
彼は諦め半分といった感じで溜め息をついた。
泣き顔を彼に向けた。
「だからこそ俺は、身近に『人間』を置こうと思った。
お前達こそが『歌』の本質を理解しうる者で、お前はその可能性を持っている。」
彼の感性で、『人間』と言う者は非常識の範疇を超えているのかもしれない。
しかし『人間側』の私にしては、彼はその位置にいる者だ。
私だって、『魔族』が理解できない。
知る必要さえないと思っていたのだ。
そんな事で、歩み寄れる筈が無い。
泣き続ける私に、彼は続ける。
「お前は謳い続けろ。何遍も何遍も無限に。 俺は何時か必ずその歌の意味を知る。」
『命令』。 それでも賛同できる。
彼と共に、歌を知る。
はじめて彼女の思いを知りたいと思った時、それは彼も同じだったのだ。
私も彼女の歌に魅了されたから。
「俺は何時だって、お前の歌を聴き続けるから。」
私の感情は決壊した。 ああ、泣いてしまった。
ここまで泣き虫な人間だったろうか。
いつから泣き虫に変わってしまったのだろう、私は。
彼の言葉で胸がいっぱいになって。
顔に手を当てて、私は盛大に泣いた。
もう二度と、愚かな気持ちで彼を疑わない為に。
彼への恐れを吐き出し、今度こそ信じるようにと忘れない為に。
私は、誰かの為の『歌』になる。
それにどれ程の意味があるのか分からないけど、今の彼の言葉はきっと一生忘れない。
彼の為に私は謳い続けようと思ったのだ。
それを考え認めてしまった事に悔しさもあった。きっと。
暫く嗚咽はあったが彼の言葉で奮い立たせ、どうにか落ち着いた。
そうして彼の為に何遍も何遍も『子守唄』を謳い続けた。
彼の気持ちが和らぐ様に。 彼女の思いを知る為に。
その夜、ほんの少しだけ彼と気持ちが通じ合った気がした。
相変わらず皇子様は無言で、私も話しかける事も出来なかった、でも
彼が私の歌を真摯な気持ちで聴いてくれるのは、嬉しい事に変わりないから。
私の気持ちを結局明かす事は無かった。
私自身が臆病で勇気がなかったからだが、彼の正直な気持ちに圧倒されたのもあったかもしれない。
でも伝える必要は無かった。 謳いながらそう思った。
皇太子様は、とても恐ろしい方だ。
でもそれ以上に、思慮深くて自らの立場を理解されてる。
多勢の私たち人間より、よっぽど人を見ている。
理解しようと、日々励んでいる事も。
掛ける言葉を知らず、命令と言う形で伝える事も。
それは貴方の優しさだと、私はそう思いたい。
願わくば、彼が『人間』の理解者になる事を。
アーサーさんを信じられた様に、彼も信じられる様になれば良いと。
彼の傍らで私はそんな夢を思うのです。
了