ラクシュミ 〜221譜の讃歌〜
『序章・擬似乱惑』:前 prigioniero
『 彼らは突如、羽虫が集るが如く行軍してきた。
全てを飲み込み、国を滅ぼし、世界へ牙を向けたのだ。
だから今日旅立つ醜男らに、私は凱歌を歌う。
平和を望めぬ大地に、一縷の希望を乗せるが為に。
《ラクシュミュト年代記 業の坩堝》 クローディア・エクリッセ』
二国間会談が行われたその年に、ヴェーダルド帝国とラクシュミュト神国は同盟を取り消した。
その年、飢饉に瀕したヴェーダルドがラクシュミュトに救援の伝を出したが、その返事により彼らがこれを拒んだ。
ラクシュミュトはヴェーダルドに次ぐ大国であり、彼らの挙げる条件は『捕虜解放』を『魔族』が宣誓する事だったのである。
無論『魔族』王朝のヴェーダルドは自尊心もあってか反対派を無理やり抑え、その条件を蹴った。
成る丈、戦争を回避したいラクシュミュトはこの事態に頭を抱えていたものの、決して意見を変える気はなかったのだ。
かくして、ラクシュミュトとヴェーダルド国間は一触即発であり、戦争が予知されるようになった。
市民達は噂した。 ヴェーダルドが『悪』と。
皇帝こそ『魔族』こそが、全ての元凶なのだと。
ヴェーダルド帝国の状勢はラクシュミュト神国の同盟決裂により悪化の一途を辿って行った。
「既に世論は、打倒派の方に傾きつつ有ります。」
「我々の状勢低迷からか、隣国の『ラーヴァ自治区』も同盟破棄を目論む話もあります。」
月に一度に行われる『院議』でも、その話が持ち込まれる程になった。
うるさく騒ぐのは元老院の老獪達、上座に居座るは勿論ヴェーダルド皇帝。
「陛下・・・このままでは我ら『魔族』は・・・。」
「『ヨニ・ガイラ教』も我らを見限るつもりですぞ!」
狼狽える者、発破をかける者。
後ろ盾が崩れかけている彼らが縋る者は皇帝一人なのだ。
彼も度重なる問題で、既に憔悴していた。
「背に腹は変えられぬか・・・。」
元老院の者々の言及に耐えかねた彼は、クローディアに逃げるように聞いた。
「・・・主なら如何様にするか?」
クローディアは、即答した。
「俺は口出ししない約束だった筈だ。 それでは不満か、リベリオン?」
この二人の間にもまた、亀裂が生じ始めていたのだ。
否、始めから繋がりなど無かったのか。
彼ら二人に飛ぶ声も、悪報が多くなった。
『魔族』の信頼が暴落していく一方、数年の月日が流れた。
大陸暦 1434年
帝都シャクルム 『朔月(皇太子)の間』
世間が騒がれている中、それでもムシュリカの仕事の内容が変わる事はなかった。
間々ならなかったクローディアの相手も、今や気軽に話せる程慣れていた。
少女だったムシュリカも今や、『女性』と形容出来る程美しく穏やかになっていた。
華奢な体付きは変わらないし子供っぽさも残るけれど、確かに『女性』として成長した。
長い黒髪も金色の瞳も、兼ね備えた神秘さは国中に広まってムシュリカは人気者になっていった。
クローディアという後ろ盾あってのことだったので複雑な気持ちだったが、毎日をとても楽しく過ごせた。
その繰り返す毎日の度、クローディアを慕う心も日々強くなっていった。
二人はいつも一緒だった。
彼の部屋の前で、いつもの作法をする。
「皇子様、失礼致します。」
「入れ。」
未だ、ムシュリカは彼を『皇子』と呼び続けている。
『クローディア』と呼びたいと思ってはいたけれど、許し無しに呼ぶ事非ずと科せていたので、彼の言葉を待っている。
彼の人、クローディアはいつもの窓際のテーブルにて読書に耽っていた。
彼は変わっていない。変化がないのが不思議な位に。
数年前と変わらずに凛々しく気高く、心を見据える様な冷たい瞳も今尚健在している。
「お呼びとあったので、お伺いに参りました。」
ただ、彼を纏う空気は確実に変わっていた。
話す相手はかなり限定されるのだが、彼の親友のアーサーは彼の言葉に『思い』が宿ったのに気付いていた。
「遅い。」
日の光に当たる彼は、より神々しく見える。
それと同じく彼の黒髪も光が当たり、黒真珠の様な妖しい瞳が更に魅了する。
「・・・して、御用件とは?」
彼が呼び出すのだから、また何かしらの『お使い』なのだろうか?
いつもクローディアの命令が本や茶などの要望であったので、今度もその事だろうと思っていたのだ。
彼は本を閉じるとムシュリカに向かい、一言。
「共に行ってもらいたい所がある。」
普段彼が行く場所とならば『図書室』と『展望室』以外思いつかない。
彼はいつもの仮面を取り付けてムシュリカの前まで来た。
どうやらこれから出かけるつもりらしい。
「長時間歩く事になる。 支度なら今の内に済ませておけ。」
いつもの場所とは違うらしい。
何処とは分からないが、クローディアはムシュリカに遠出で付きあってもらう事を所望している。
ムシュリカの顔が、パッと明るくなる。
彼の言葉の一つ一つが、とても嬉しかったからだ。
「はい、喜んで!」
ムシュリカは笑顔でクローディアに返事をした。
花が綻ぶような屈託のない、純粋な笑顔だった。
「・・・早くしろ。」
呆れた様な痺れを切らす様な、仮面越しにそんな声が聞こえたので、ムシュリカは急々と寄宿舎の方へ戻った。
その時彼がどんな顔をしていたかは、急いで戻った所為で知る由もなかった。
ムシュリカが立ち去ると、クローディアもまた廊下に出た。
黒の廊下は今も昔も変わらずに同じ道が続いてある。
彼は、変わらない事が不愉快だった。
そんな自分も嫌いだった。
先程のムシュリカも見て思う。
彼女と自分の時の流れの速さの違いに、何故だか悔しさが湧くのだ。
彼は自分自身を珍しく思う位、迷っていた。
迷っているのだ。
これから自分が引き起こす事を、巻き込む事になろうムシュリカの事を、彼女自身への思いを。
クローディアは信じかけている。
信じようと思わなかった『人間』の一人に、心を許しつつあるのだ。
「何だ・・・。」
何なのだろうか。
気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い。 頭の芯から腐っていく感覚が伝わる。
きもちわるい。 あの女に似すぎて、気持ち悪い。
*
「そろそろ言っても良い頃合いなんじゃないか?」
「誰が入れと言った・・・。 出て行け。」
とある昼、アーサーは彼に言った。
クローディアは昼寝を邪魔された所為か機嫌が最悪だった。
「ムシュリカちゃんだってもう部外者じゃない。 ・・・もう中核に近い所に居る。」
「アイツは端から部外者だ。」
そう断言した。
アーサーはそれで納得しなかった。
「君の一番傍に居るんだ。 危険を伴う事になるから言っているんだろう?」
これから行う事は決して褒められる事ではない。
戦うのは一種族に留まらなくなる。
その中心のクローディアに仕える彼女に危険が迫るのは避けようの無い定めである。
「側に居るから何だ?
俺はアイツに、『あの事』を滑らした事は無い。 誘おうとも思ってない。
アイツの所に審問が来ようと、何も知らない奴が答えれる事は何一つと無い。
何の心配をする必要がある?」
さも何事も問題なさそうに言っているが、その件が気にかかる部分だったのである。
アーサーは更に言及した。
「正に僕が心配でならないのは、『事』を実行した後のムシュリカちゃんの待遇と心の在り方だよ。
君の言うように何も知らない者を問いただしても真実は出てこない。 彼女は直ぐに釈放されるかもしれない。」
今のムシュリカは『捕虜』の時とは違い、『皇太子付き』なのである。
彼女はラクシュミュトの大僧正とも面識がある上に、彼の権限と権利を持ってすれば助かる可能性はある。
幾ら事態が急変しようと、彼女やサリネは生き残れる方法はいくつもある。
「だが・・・忘れているようだが、彼女は『人間の女の子』なんだ。
下手すれば、君と皇帝が対峙する瞬間も彼女は側に居るのかもしれない。
君の側に居るだけでいっぱいいっぱいだった子が、更に『あの事』の事態に堪えられるかどうか、僕には分からない・・・。」
「余計な心配だな。」
クローディアはあくまで、ムシュリカを部外者として言った。
アーサーはクローディアが雑な扱いでムシュリカと接している事と思い、顔を歪めた。
だが、そう言う意味ではなかった。
「何度も言うが、アイツは『部外者』だ。
そこまで考えんでも、俺は『最後』まで連れようとは思ってはいない。
お前が何を考えているのかは知らんが、『個人』としてなら大幅に認めていると言っても良い位だ。」
あのクローディアが、『個人』と言う利己的なものを認めると言った。
以前の彼なら切り捨てる事も躊躇わなかったろうに。
「だが・・・。」
「何だ?まだ条件をつけて欲しいのか?
これ以上何を望む? 最高の栄誉を俺はアイツ一人に与えると言ったんだ。
・・・それでもまだ気にかかる事があるなら俺にも考えがある、アーサー。」
アーサーは止まった。
そして直ぐに、クローディアの言う『考え』の言葉を思い出して、食い入るように彼を見た。
「何だ・・・それは?」
「アイツに、『モグラ』を明かす。」
「勿論、『あの事』を伏せての事だがな。」との、クローディアの声は聞こえていなかった。
彼が、『最重要機密』をムシュリカに告げると言ったからだ。
「正気か、君は!?」
「決まってるだろう。」と、クローディアはさも当たり前に言った。
真実を話せと、言ったのは確かにアーサーである。
避けるべきと言ったばかりなのに、秘密の『中核』を明かすとはどういうことだ。
突拍子の無い展開に彼は少々混乱していた。
「アイツはバカではない。
あの場所とあの『モグラ』一つで、城の裏がどうなっているかは気づく。
だが『あの事』とはそれは無関係だ。気付きはしまい。」
「確かにそうだが・・・!」
クローディアの言う事は理解は出来る。 だが納得しようと思えない。
そこで真実を見たとして、彼女は受け入れる事が出来るのか?
あの場所は、禍事が蠢いているような場所である。 あの場所の何者かが、秘密を明かすかもしれない。
今まで側に居たからこそ、アーサーは彼女が心配なのだ。
その繊細な神経を持つ娘が、耐え抜く事ができるのか。
「再三言うが、 俺は『全て』を明かす訳ではない。
秘密の一つを明かす訳であって、俺達の真実を明かす事ではない。」
『少しは冷静になれ。』と、クローディアは溜め息をこぼした。
言われてからアーサーは、かなり焦っていた事にやっと気がついたのだ。
勝負強さを備える自分が少し情けなく思った。
「もし・・・もし、ムシュリカちゃんが見たとして受け入れなかったら?」
ムシュリカを軽蔑するのだろうか? 冷遇するのであろうか?
「その時は、それで終いだ。
『皇太子付き』も、城仕えも止めさせる。 お前の元に戻るでなく、『自由』にさせる。」
彼は平然と言った。
その言葉が、アーサーの心にズシリと伸しかかったことも考えず。
ムシュリカと対等に接したいと言う、思いの丈を打ち明けた事を思い出しながら。
クローディアは、今でもそれを憶えているのか。
だが、これでムシュリカも『自由』になる。
彼女と対等になり、共に生きて、同じ時間を共有する事が出来る。
その為には、クローディアと言う大きな犠牲がつく。
彼は犠牲になれど、ムシュリカが『幸せ』になる手段は大きく増える事になるのだ。
ようやく、アーサーの夢が叶う事となる。
「・・・本気か?」
「本気だ。」
アーサーの問いに戸惑う事なくクローディアは答えた。
本心か強がりかは分からないが、決心は本物のようだった。
アーサーは、肩を落としてクローディアを呆とした感じで見ていた。
「なら・・・なら僕もその意見に賛成しよう・・・。だけど、まだ終わっていない事があるぞ?」
まだ何かあるのかと、鬱陶しそうにクローディアはアーサーを睨みつけた。
「君は、 最後までムシュリカちゃんに嘘をつき続けるのか?」
今度は固まったのはクローディアの方だった。
アーサーは、「やはり」と言った具合に真剣に問うた。
「彼女に、明かさなくていいのか?」
クローディアは何も答えない。
彼がムシュリカを手放すなんて事が考えられない。
二人は互いを認めて、そして支え合っている。
いつだったかムシュリカの奏でる『歌』がクローディアに小さな『自由』を与えていた事も、
クローディアを受け入れる事により、ムシュリカが広い『世界』を知る事が出来たのも、 全て二人だから出来た事なのだ。
クローディアは、『語ってはならない秘密』を秘めている。
彼は頑に口を閉ざして、ムシュリカには語ろうとしないのだ。
『友達』であるアーサーには話した癖して。
「ムシュリカちゃんは、何があっても君を受け入れると思うのにな・・・。」
「それはアイツへの過大評価だ。」
ムシュリカに話さないのは彼女が『人間』で『歌姫』だからであろうと、アーサーは何となく気がついていた。
だが、それ以上に上まるものを、クローディアが秘めているのを知っていたので言わないでおいた。
悔しいし癪だからだ。
「嘘つきのままで、いるんだな。」
アーサーは確認した。 クローディアの真意を知っておいて。
「嘘をつき続けたのは、『人間』の方だ。」
と、ムシュリカに押し付けるように言った。
*
一体何処へ連れて行かれるのだろうか。
初めてクローディアに会う前の時のような、そんな緊張と不安感が蘇ってきた。
彼に後ろに歩いて、終わりの見えない階段を下り続けている。
行く先はクローディアしか知らない。 彼は一体何を見せたいのか。
薄暗い、青い景色だ。
肌に微かに当たる冷たい風に鳥肌が立つ。
金属と霧と廃墟の世界。
クローディアは城の地下の世界へ、ムシュリカを招いたのである。
城の地下に遺跡があるとは知らず、周りの見慣れない光景にムシュリカはただ驚くばかりだ。
『皇子』である彼が、こんな辺鄙な場所で何がしたいのかも分からない。
遺跡の建造物や物資は、今の技術の原型となった物ばかりで役に立つ物とは思えない。
当の彼も只前を向くだけで、周りの物に眼もくれない。
「皇子様・・・。」
聞きたい事がある筈なのに、この静けさに当てられてか聞くに聞けなかった。
クローディアを呼ぶ声は、機械の動く轟音に消されて聞こえなかったのかもしれない。
彼は気付いているのか気付かないのか、無視して大通りを歩いている。
「私が・・・私が来て、良かったのですか?」
何だか、世界から除け者にされている感じである。
来てはならない場所に来てしまった気分だ。
ムシュリカの声にやっと気付いたクローディアは、振り返ると彼女の不安げな顔を見て言った。
「アーサーが不在だ。 身内はお前位しかいない。」
だからといって、こんな機密的な場所に連れて来て良い筈ないであろう。
彼の何か言い返そうと思ったけど、ムシュリカはそんな気力もなくなっていた。
長い時間歩き続けている所為か、疲労が溜まりつつあるのだ。
「疲れたのか?」
クローディアは直ぐに気がついた。
ムシュリカの顔が微かに暗い上、歩き方も覚束無いからである。
彼に気付かれたのが分かり、ムシュリカは空元気になって振る舞った。
「い、いえ!丈夫です! まだ歩けます!」
問われた瞬間のこの慌て振り。 彼の言葉は図星であった。
顔色が優れない。
彼はその様子に呆れ溜め息をして、ムシュリカに詰め寄った。
「そうか。
だが、此所から最空洞の辺りまであと半分以上はあるぞ? ・・・それでも歩き続けるのか?」
これは脅しととっても良いのだろうか。
彼はそんなつもりはなかったが、仮面越しの声はそう凄んで聞こえた。
確かにその距離ならば途中で休みつつ行かなければ、体力的に辛い。
ムシュリカは恐る恐ると、彼へ返事をした。
「・・・で、ですが皇子様は先をお急ぎでは・・・?」
まず、彼の意見を知りたい。
クローディアが先を急ぎたいのであれば彼の言葉に従いたいのだ。
労ってくれるのは嬉しいが、何より尊重すべきなのはクローディアの意思。
「別に急ぎという訳では無い。 休みたいなら言え。」
本当に、そうなのだろうか。
でも彼がそう言うなら言葉に甘えるのも悪くないのかもしれない。
折角だし彼の言う通り休むのも良い。
「それでは・・・もう少し、歩きましたら・・・。」
苦笑してクローディアに言うと、彼も納得したようで再び前を向いて歩き始めた。
だが、それにもムシュリカは上手く追いついて行けなかった。
そのムシュリカの様子に気付いたのか、クローディアは若干歩く早さを落としてゆっくりめに歩き始めた。
ムシュリカは助かったのとばかりに彼の隣に付き、ようやく『歩く』事が出来たのである。
次いで現れた階段を下って、着いた部屋は地下栽培畑であった。
この日の光の届かない場所で、野菜や樹木が生い茂っている様子にムシュリカは上層部の廃墟同様に驚いた。
良く熟した野菜を自動的に機械が切取り、出荷箱の中へと運ばれて行く様子を何気なく見ていた。
疲れている所為か頭が回らない。
人口照明、散水機、空調など、揃える物なら全て揃っている。
地上以上に、この地下の施設の方が発達した文明なのだと足りない頭でも分かった。
「水だ。」
どこかへ歩いて行ったクローディアは、片手に水の入った器をムシュリカに差し出した。
嗚呼、気を使ってくれているのか。 呆と思ってると我に返って慌てた。
「すっ・・・すみません! 態々、その・・・。」
彼の突拍子もない行動に混乱してか、呂律が回らない。
しかしクローディアは『ずいっ』と水をムシュリカに押し付けて、ムシュリカの隣に座った。
そして自分がベンチに座っていたと言う事にやっと気付いたのだ。
「ありがとう御座います・・・。」
ムシュリカは照れて、両手で器を持った。 水は冷たく澄んでいて、とても柔い。
クローディアは鼻で返事をして、素っ気なかった。
何を話せば良いのだろうか。
隣に座る事は別段珍しい事ではないのだが、クローディアが何時もより優しい所為で調子が狂う。
いつも何かあればムシュリカから話すのだが、地下菜園を冷たい目で眺めているクローディアが話す事を許さないようで。
彼は何を望んでいるのだろうか?
「・・・凄い所ですね。
何だか突飛した技術の様ですし、日の当たらない場所で植物が育つなんて・・・未来の世界のような・・・。」
目の前の光景から思いついた話題だった。
だが取るに足らない話題だったのだろう。 クローディアは無言でその光景を眺めるだけなのだから。
「あの・・・皇子様・・・?」
照れるやら情けないやらムシュリカは俯いた。
色々考えれば考える程クローディアに答えを聞きたくなるのだが、彼はそう簡単には答えてくれない。
彼が答えを示してくれる何て、それこそ少ない。
分からない。 解らない。 判らない。
クローディアの事がわからない。 ムシュリカはどう聞けば良いのか、その術が見つからなかった。
「お前は何も聞かないんだな。」
クローディアが突然喋った。
ムシュリカは肩をビクつかせ、彼の方を向いた。
「俺が言うまで、お前はずっと待っているのか?」
聞いて欲しかったのだろうか。
でもきっと、彼はそう言って欲しいのではない。
彼の言う事は図星だ。
クローディアは、ムシュリカの答えを聞かずに、話し始めた。
「此所の技術は、突飛している訳ではない。
随分前の、凡そ千単位前の太古の文明を再現した産物だ。
参考にしている事であって、発明で生まれたものではない。」
辺り一面の、機械が栽培する野菜畑。
ムシュリカは掌を口に当てて、呆気にとられた。
「もう、進化は望めない。
これ以上の物を生み出す力は、『魔族』の『魔術』では不可能だ。
所詮、真似て満足するだけの事。 凄くもなければ、お世辞にも素晴らしいと言えない不格好なものだ。」
「そんな事ありませんよ・・・。 外の民の人々は、きっと驚きます。
過去から発掘した技術だとしても、これは・・・多くの人の救いにはなり得るのではないのでしょうか?」
淡々と言ってのけるが、技術を真似るのも至難であると判っているのだろうか?
今現代の『人間』の技術でも、此所まで追いつくのに後何年掛かるのだろう。
ムシュリカは『機械』に親しくはないけれど、空を飛ぶ船や車、エレベーターや電灯はどういう風に使われるのかは知っている。
それくらいは、城に居ればみんな知る事が出来る。
でも作り方や、どう言う仕組みになっているかなんて、知らないし知らなくていい事だと思っている。
「俺は、このままでは『魔族』に未来は無いと思っている。」
終わりの彼の言葉は、一瞬ムシュリカの頭を真っ白にした。
クローディアは『魔族』の頂点に立つ者だ。
そんな彼が終わりを宣言するなんて、『魔族』に破滅を告げるのと同じなのではないか。
我に返ると、彼に言った。
「そんな事仰って・・・、・・・他の方達がこの話を聞いていたら、」
「皆、知っている。 知らない振りをしているだけだ。」
同じ言葉を誰かから聞いた記憶があった。
それは確か数年前の『夜会』。 サリネと話している時。
彼女との内容は違ったが、確かに言った。
『知らない振りをしている。』 『気付かない振りをしている。』
知ったもの誰もが、到達しているのだ。 その結論に。
「・・・知らない、振り・・・。」
クローディアの言葉をオウム返しのようにムシュリカは呟いた。
ムシュリカの何気ない一言を聞くと、彼は続けた。
「人が知らない振りをする理由は、お前は知っているか?」
彼が、今度は問いかけて来た。
クローディアは答えを承知の上で、だ。
試されている。
ムシュリカの方が、たくさん質問を溜めているのに。 彼はそれを知っている癖に。
問題がすり替わっている気がしたが、ムシュリカは彼の質問を真面目に受け取り、答えを探った。
確かに、知っているのだ。
サリネの時にも、ムシュリカは何となく気付いていた。
『どうして私達は自らを欺き続けるのか。』
ムシュリカは答えを見つけていた。
でも答えたら、クローディアが何と言うのか怖いから言いたくなかった。
彼は見つめる。 ムシュリカを問いつめるかのように。
仮面越しでも、その威圧感は分かるのだ。
「私達は 怖がっているから・・・。」
臆病なのだ。 私達『人間』は。
恐れているのだ。 今の環境からの変革と安定の崩壊を。
それは『魔族』も同じなのだ。
ムシュリカは怖かった。
「俺には分からん。」
冷たい返事だった。
彼には、理解出来ない領域か。
クローディアだって、生まれている以上確実に老いをする。
ムシュリカが彼と過ごした数年、変化は僅かながらにあった筈。
「皇子様は、怖いと思った事はないのですか?」
聞いておきながら、『彼には無いのだろう。』と決まった答えが定まっていた。
ずるい奴だと自覚している。
「『未知』の領域だ。 未だかつて俺に『恐怖』が生まれた事がない。
俺は『恐怖』するお前を見て、理解するしかない。」
出会った当初の頃を言っているのだろうか。
確かにその頃は、クローディアが怖くてたまらなかった。
ムシュリカにとって、『魔族の皇子』は未知の領域だったのだから。
彼の気持ちは良く分かる。
「そうなんですか・・・。」
在り来たりな答えだが、彼にどう『恐怖』を言えば良いのか分からなかった。
何度も身に刻まれている筈なのに、言葉に具現するのは難しかった。
もっと語力があれば彼に言えたかもしれない。 無知な自身が悔しかった。
そして会話は途切れてしまった。
クローディアが気を使って話題を作ってくれたのかもしれないのに。
どんな話題であれ繋げて、相手にならなくてはならないのに仕事さえ満足に出来ない。
もう『皇太子付き』に就いてから数年経つのだから、そこそこ自信は持っていたのだ。
会話でさえ、精一杯だ。
未だに、本当に自分がこの仕事に就いてよかったのか、何度も悩む。
年々の『夜会』でも、適任と思える者が多く見かける事が出来た。
ムシュリカとは違って、向上思考で知的な者達が多く居たのに。
クローディアとお似合いと思える者は、多く居るのだ。
『世界』が広いと思える分、その分『適任者』はいるのだ。
いっぱいいるのだ。
思う以上にいっぱいいるのだ。
でも嫌なのだ。
折角自分にしか出来ないと、クローディアが言ってくれたのに。
いつもの自己嫌悪を繰り返し続けていると、クローディアはムシュリカに向いて聞いて来た。
仮面を、外してだ。
「・・・お前に今一度聞く。」
彼の美麗な顔が見えた。
瞳は何だか悲しそうだった。
反らしたかった眼を、今見つめた。
「お前は、俺が怖いか?」
彼は前断言した。
ムシュリカが恐れていると言う事を。
だから、彼と話す事も間々ならなかった。
でも今は違う。
それでもムシュリカは、彼と話せないでいた。
それは『魔族』だからとか『皇族』だからとかではなく、もっと別の。
「私は、」
彼は、真実を求めている。
ムシュリカも、それを同じく返すべきなのだ。
でも真実を言ってしまったら、それこそ
終わりだ。
「私は、 怖かったです。
皇子様が、『魔族』が、 この城が巨大な化け物のように思えてならなかったです。」
真実は言えない。
でも、彼が求めている答えなら、それなら答えられる。
クローディアとの、思い出を振り返りながら。
「でも、それは・・・長くて短い刹那の様な時間でした。
貴方が私の『詩』をお望みになった日から、日々に光が射すようになったのです。
私の『詩』を聞いてくれて、気持ち悪がないでくれて、そして私に多くの事をお教えして下さりました。
だから私は今でも、皇子様の側に居られる。」
彼との思い出が、クローディアと出会った数年間は、ムシュリカの宝物である。
辛くて泣いた事もあったし、言葉が痛くて息苦しい事もあったけど、それでも代え難いものばかりである。
稀有な力の為に人が彼女を避けようとも、クローディアは最後まで居て聞いてくれたのだ。
どんな事があれ、彼のお陰でムシュリカは今でも此所に居られる。
知ろうとしなかっただけで拒絶していた自分を叱咤して、
そして真実を知る事で、多くの視野が広がった。
『魔族』も、『人間』も、『獣人』も、知るべきなのだと。
冷たい者達だと決めつけて、汚い者と決めつけて。
全ての者は平等に、生きていると言うのに。
ムシュリカは、
「私は、 私は皇子様の事が怖かった。 冷酷な者達と決めつけていた。
私は眼を反らしたりしません。 逃げたりもしません。」
ムシュリカは、クローディアの側に居るのだ。
そうするべきだと、決断したから。
彼が真面目に問うのだから、 真摯な気持ちで答えたのに、
クローディアは、何も答えなかった。
畑の撒かれる水の音が部屋中に響いて雨を想像した。
地上は晴天の筈なのに、矛盾している。
暫く黙ったままで、ムシュリカも自分の答えが可笑しかったか戸惑ったが、彼は突然立ち上がって歩くよう指示した。
彼女の手にあった空のコップを取り上げて、ゴミ箱へ捨てた。
「皇子様、あの」
不安からか、何を聞こうか考えているままムシュリカはクローディアを呼び止めた。
彼は呼び止められて、振り返った。
「あの・・・。」
いざ見られると、何も答えられなくなる。
本当に何を求めているのだろうか。 いい加減答えて欲しかった。
「見せたいものがある。」
「え。」
ムシュリカの答えの続きで言っているらしい。
ピタと動きを止めたムシュリカは彼に聞き返した。
「お前が『皇太子付き』だからこそ、見せたい物がある。」
彼は分かりやすく要約した。
それでもムシュリカには理解不能だった。
「一体何を?」
彼は今日出会った時から、何を見せたいのだろうか。
しかし、その質問には答えなかった。
最後に只一言。
「見れば分かる。」
そう言うだけで。
*
思った以上に彼の部屋は広かった。
そこから『探して欲しい』なんて、始めて来た者へ何て無茶なのだろう。
ま、これが彼からの最後の小さな『お願い』なら安いものか。
「確か、黒い漆塗りの・・・」
彼の箪笥、その肢の裏だと聞いた。
どうすればいつもそんな場所に鍵をしまうことが出来るのか。
否、彼は『魔族』だから常人ならぬ力を持っているのは当然なのだろう。
私の背丈の二倍ほどある箪笥。
ムシュリカ達にしてみればそれ程でもない高さだ。
『獣人』である私は、『人間』より体力と筋力は勝っているからこれ位は軽い。
箪笥の手前をそっと上げて、足の裏に隠れてあった鍵を拾う。
こんな小さなものが、国を揺るがす物と誰が知れよう。
定位置に箪笥を戻して私は一つ溜息をした。
外から吹く風が心地よい。 もう春が過ぎようとしている。
先祖達は、風を受けながら自身で空を飛んでいたと言う。
今もその先祖同様、空を高く飛べる気がした。
元々『鳥』だった為か、私は『空』や『風』に思う以上に固執している。
特にシャクルムのそよ風は、実に気持ちがよかった。
これも今日で収めなのだから、よく体感しておくとしよう。
散々休んだ後、私はさっさと『主人』である彼の元へと行こうと思った。
そのとき目に付いたのが、彼の執務用机の上。
箪笥と似合いの漆黒の机だ。
ピカピカの埃一つ無し。 手入れがどこまでも施されてある芸術品だ。
問題はその机の様子なのではなく、放り出されてある皮の本。
私は何気なくそれを手にとって、広げた。
真昼の十分な明るさで文字はハッキリと読めた。
『1429年、『地帝聖誕祭』 ・・・』
真ん中の開いたページから見ても分かる通り、それは日記帳だった。
日々をつづるとは彼は意外とマメな性格だ。 サリネが見たら『女々しい』と言いそう。
長寿な彼だから膨大なページだろう、と思ったがそうでもなかった。
はじめのページに戻り最初の文を見てみると、おおよそ19年前から始まっている。
内容によれば彼が『捕虜』を持ち始めた頃から、らしかった。
『その『人間』の少女の名はムシュリカ。 僕の初めての『捕虜』になる。 これからどうやって接していこうか。』
『捕虜』を持ちたての頃はかなり緊張もしたし焦ったと言っていたのは本当のようで、文字は震えの跡があった。
ムシュリカ、あの子が彼の初めての『捕虜』であったのか。
あんな性格の彼女なのだから、彼もどうしたらいいか戸惑っただろう。
以降続くのはムシュリカを中心とした『捕虜』の話ばかりだった。
差別の壁の『苦しさ』、対等になれない『悔しさ』、気持ちが通じ合えない『不安』。
まるで『人間』のようだ。 思わず笑みがこぼれる。
でもそれ以上に多かったのは、『ムシュリカ』への悩み。
一緒にすごせる『嬉しさ』、伝えることの出来ない『歯痒さ』、彼女と分かち合った『暖かさ』。
生き生きとした字が、目で追うごとに進化していく。
ここまでになると、正直すぎるな。
呆れてしまう。 こんな奴が『皇太子』の親友だなんて。
ただ、その気持ちは私にも分かるよ。
あの子は、私達が欲しかった物をくれたんだ。
だから私もマニカも此処で生きて行く事が出来たから。
ムシュリカを好きになるのも、良く分かるよ。
私もお人好しのあの子が大好きだから。
これ以上人の思い出を覗くのは忍びなく思って、本を閉じて退散しようと思った矢先
彼の日記から何かが落ちた。
本の羽に挟まってたそれは、一つの封筒だった。
綺麗な蔦模様の宛先の無い手紙だ。
私は封がされていない手紙の中を勝手に取り出した。
してはならない事だけど、何故か見なければならないような気がして。
手紙は全部で三枚あった。
ご丁寧に三つともバラバラにして綺麗に折ってあって、私は一枚目の手紙を広げてみた。
『 この読まれる事の無い手紙を、僕の生涯唯一無二の親友で在ろう者に宛てる。
切欠は僕の我が侭から始まったものだ。
君が『外へ出せ』とか『復讐する』とか僕らに文句を言っていたあの頃だ。
僕も負けず劣らず国や世界に不満を持っていたし、正直充実はしていなかった。
その不満からなのだろう。 僕が『あの事』を起こすと言ったのは。
僕の吐露する物を君は文句も何も言わずただ聞いてくれた。 そして協力しようと言った。
お前の『憎悪』、『憤怒』、『怨念』を全て具現化する手伝いをしてやろうと。
始めは冗談だと思ったよ。
君には嫌われっぱなしだったし、君が興味をそそる話をした事も無かったから、何時ものようにからかってるのだと思った。
日が経つにつれ君は『魔族』内に内通者を増やして『あの計画』の実行者になると言った時、本当なのだと実感したよ。
『魔族』を同族を滅ぼそうとする為の、悪魔の計画だ。
尊いものに昇華すると言う名目のもと、死んでゆく事になろう他の者達にはどんなに言葉を尽くしても謝り切れない。
僕は結局、君を巻き込んだ。
いや、そんなもの建前だ。
君の復讐とか、国の上に立つ者の責務とか、 そんなものはどうでも良かったんだ。
僕は『尊さ』を作りたいんじゃない。
自分がそう言う人になりたかっただけだったんだ。
ありあまる『魔族』が居る中、僕はその一人というだけのような気がして。
勝手にそう思ってただけだったんだ。
君の言う様に、結局は僕も『魔族』なんだ。
『人間』が侮蔑するような、『戦争中毒者』そのもの。 僕も皇帝と何ら変わりない。
ここまで来てしまった今、今更引き返そう何て無様な真似はしない。 でもせめて君に言いたかった。
「いい加減、恨み言を唱えるよりも『生きている』ことを喜んだらどうだ。」
その一言を君に伝える事が出来なかったのが、唯一の心残りだ。
もしかしたら、もっと別の路があった。 別の考えを見いだす方法はあった。
そんな気がするんだ。 』
一枚目が終わって次の二枚目を開いた。
二枚目は打って変わって全く別の事がかかれてあった。
『 君は、もう気付いているのだろう。
僕はムシュリカを君に会わせた時も、そこから君は変わった。
人慣れしていない君は、始めは彼女に辛辣な言葉を言ったのだろう。
彼女はその日以来、表情に影が浮かんでいた。
でも君も改まって自分の考えを彼女に言った時、少しずつ明るさを取り戻していった。
そして、僕もまたそれに救われた。
君に彼女を会わせたいと思ったのは、始めは『人間』に触れる事で『計画』を変更するのではと思ったからだ。
ただ君は頑固だった。 どうあっても自分の考えを曲げるような事はしなかった。
ムシュリカも君に触れて、前以上に暖かさと明るさをもって君に尽くした。
でも彼女も頑固者だった。 優しいあの子は側に居る君が無茶をすれば最後まで付き合うつもりなのだろう。
君がどんなに手放そうとしても、彼女は側に居る。 それは君に取り巻く憎悪に触れる事でもある。
彼女を手放したいと思ったのは、そうじゃないのか。
傷つく。 それが怖くて。
僕は知っているんだ。
あの娘を好いている。それ以上に『愛おしく』思っているのだろう。
『友人』の役目を持つ者として、誇れるものだと思っているよ。
『好きになる』事を思い出したのなら、これ以上の事は無い。
後の役目は、僕の代わりにムシュリカが継ぐのだろう。
それこそ友人ではなくもっと別のものとして。 君に少しずつ歩みを持たせる。
もっと早く、ムシュリカを君に会わせておくべきだった。
そうしたら僕たちは、もっと分かり合おうと思えたのだろう。
君の気持ちは、ムシュリカによって変わった。 また彼女も。
そして彼女は、きっと途方も無い事を思っている。 君と同じ様に。
最後に一言、君の友人として進言しておこう。
聡明な皇太子クローディア。 永遠に生きる命などこの世には無いのだ。
ムシュリカもいつかは君を置いて行く事になる。
だからこそその時まで、どうか彼女と君の幸を願っている。
どうか、彼女を守ってくれ。 もう僕は、君以外頼れる人が居ないのだから。 』
何よこれ。 他人の事ばっかり書いてどうするのよ。
こんな事を書いてどうするの。
残った最後の三枚目を読むのも忘れ、 二枚目を読み終えて私は呟いた。
「アンタも大概、嘘つきね。 アーサルト・ジェリーベル。」
(後編へ続く)