ラクシュミ 〜221譜の讃歌〜
『序章・擬似乱惑』:後 prigioniero
*
最初に思った印象は赤だった。
夕日の様な、夜に打ち上げられる閃光の様な、鈍い紅色だ。
微かに煙たいし、青の廃墟とは違って随分騒がしい。
人が多いのだ。
それも『人間』だけでなく『魔族』や『獣人』もいる。
働く必要の無い『魔族』まで、なぜ共同で作業をしているのだろうか。
足下の響く鉄の音と、唸り続ける機械のモーターの音が耳に痛い。
最下層の為か、空気も若干薄く感じる。
長距離を歩いたからか、慣れているクローディアより随分足が重い。
「また休むか?」
振り返ったクローディアが聞いて来た。
でも先程聞いてみれば、目的地はもう近いのだそうだ。
ここで休むよりその目的地の場所で休むべきなのであろう。
ムシュリカは丁重に断る事にした。
「いいえ結構です。 もうじき目的地なのですから・・・。」
好奇心と楽しみで足が弾むように進む、という訳ではないが。
クローディアも段々と顔が険しくなっているのだ。
この先に何があるのか怖い、と思い始めた。
「・・・そうか。」
それでも疲れているムシュリカを労ってか、ある程度歩けば止まる様に彼はした。
唯一救いだったのは彼が、容赦なく歩く事をしなかった事だろう。
「もうすぐだ。 それまで持ちこたえろ。」
近ければ、少しでも足は進む。
ムシュリカはクローディアの意図を分かってか、空元気で足を動かした。
周りは、何やら工事の作業をしているようにも見えた。
溶接機、ヘルメット、ゴーグル、散らばった工具と鉄缶の中で燃える焚き火。
地下世界の仕事場と生活が見えた気がした。
周りに多く人が居る事で落ち着くなんて少し可笑しい気分だ。
全員身も知らずの赤の他人と言うのに。
ある所では倒れた梯子にロープの山、クレーンなどの重機もあちこちにある。
『皇太子付き』のムシュリカに見せたいと、クローディアは言っていたので、
こんな地上から離れた最下層でする事など、極秘の事に決まっている。
赤と黒の灰色の煙。
いつもとは違う。 青でも白でもない色。
頭がクラクラしてきた。
何故だか分からないけれど、思った以上に混乱しているようなのだ。
あそこで何を掘っているのだろう。
あそこで何を組み立てているのだろう。
頭上でトンカチを打ち付ける音は一体何の為の作業だろう。
訳も分からず、ムシュリカはどうでもいい事まで考え始めた。
なんだろう気持ちが悪い。
先程から胸が苦しい。 脚が重い。
「着いたぞ。 此所だ。」
背姿のクローディアは立ち止まって、ムシュリカを前へ寄越した。
呆としているムシュリカは前へ引っ張りだされて、眩しいばかりの光に手で翳した。
顔を反らしてでもいなければ、眼が痛かった。
「よく見ろ。」
クローディアがそう指示した。
しかし、とても眩しくて直視出来ない。
何故太陽などの光を嫌う彼が、この光を真っ直ぐ見れるのだろうか。
そう考えるとハタと動きを止めた。
此所は地下の、それも最下層の筈である。 太陽の光などある筈無い。
それでも彼が眺め続けているそれは人工的な光。
それに気がついて、ムシュリカは漸く慣れた眼で、その正体を見る事が出来た。
「これは、・・・螺旋刃?」
よくよく見てみれば、それは周りの照明などで反射された光だったのだ。
二人が見上げるは、それは巨大な蜷局を巻いた刃。
穴を掘るかの様な形の柱。
しかし、とても美しかった。
研ぎすまされ磨かれた刃は、鏡のように輝いていた。
「皇子様・・・これは穴を掘る為の機械・・・なのですか?」
「そうだ。計画重工兵器『マフナタリス』。 そしてこの場の総称は『マフナタリス工蔽』。」
クローディアの代わりに背後の声が答えた。
聞いた事のある、もう一人の声が。
手すりに掴まり支えながら力なく振り返る。
そこには見た事のある逞しい巨体に勇ましい顔。
ただいつもと違うのは太陽の様な笑顔が無い。 クローディアと同じ位険しいだけ。
「マフナ・・・タリス?」
「ムシュリカさん。 アンタ、こんな所まで来ちまったんだな・・・。」
見間違えようがない、エンディオだった。
彼が何でこんな場所に居るのだろう。
服装もいつもと違う、作業着の様な軽装である。
回らない頭で、ムシュリカはエンディオを見た。
「エンディオさんまで・・・此所は一体なんなんですか?
大体、何で城の地下に、こんなものが・・・。」
熱を持った様な眼で、ムシュリカはクローディアとエンディオを見た。
薄ら汗もかき始めている。
余計なことを言うのを止めろと言うように、クローディアはエンディオを細目で見た。
「クローディア皇子・・・ムシュリカさんを此処へ連れて来るってことは『そう言う事』だ。
アンタの傍に常に居た人なら、この人も真実を知っておく義務がある。
此処は真実を語る場だ。
偽りや隠し立てをするのなら、貴方であろうと許さない。」
エンディオもクローディアの言うことであろうと引き下がる気はなかった。
しばらく沈黙が続いたが、クローディアはひとつため息を零して折れた。
ムシュリカの問いに答え始めた。
「・・・これは今の時より要になるもの。
あの無関係を装っている碌でなし『宗教』と堕落した『奴等』を叩く為の物だ。」
宗教を叩く。 それは『魔族』に楯突く反乱分子の事だろうか。
しかしあんな重機の様な物を、どのようにすれば武器に変わると言うのだ?
ムシュリカはただ、黙って聞いていた。 それしか体力が残ってなかった。
「ムシュリカさんも知っているでしょう? 我が国家と『ヨニ教』の繋がりを。」
知っている。
『地帝聖誕祭』の度に盛大に祭り上げられる『魔族』。
『地帝』を祀る『ヨニ教』は『魔族』そのものと言ってもいい象徴的存在。
彼らが言っている宗教とはどうやら世界的宗教『ヨニ教』を言うようだった。
「と言う事は、この『マフナタリス』の存在意義。 ムシュリカさんも、もうお分かりじゃあないんですか?」
ああ、その重機の存在意義。 それは地を掘ると言う事しか無いではないか。
他に何かあるのか?何が言いたいのだろうか?
ムシュリカは『ヨニ教』を詳しく知らなかったのだ。
「俺たちはこれで、『奴ら』に喧嘩を売るって事だ。」
喧嘩を、売る?
それは、宗教に楯突くと言う事は、 戦争を仕掛けるのと一緒の事。
「な・・・何故っ?」
震える声でムシュリカは二人に問うた。
二人が嘘か冗談で、からかっているのだと思いたかったから。
でも、彼らの表情は無表情と変わらなかった。
そんな馬鹿な。 彼らの『象徴』と言うべき物を壊す理由なんて無い筈。
「『ヨニ教』の経典の中にもあるように、クロード様ら『皇族』は『地帝』の眷属の中に入る。
ムシュリカさんも知っているだろ? 『皇族』は『地帝』の子孫だと言われている事を。」
それは、生まれてこの方培っていた常識の一つだ。
そんな当たり前ととれる様な『伝説』に今更何と言うのだ。
「遥か昔、始祖『地帝ガイラ』はこの地に降りて多くの物を生み出して来た。
文字、文明、植物、動物。
ありとあらゆる物の基礎を構築した。
『地帝』はこの世の創造主。彼こそ全て。彼こそ『真理』と皆崇めた耐えているものさ。
だから『皇族』は、生き神の如く祀られる。 『地帝』の血を引く故、そうなるような権利があるからだ。
世界中を強り続けている『常識』に身を任せて、何も考えずに何も心配せずに生活しているんだよ。」
エンディオの声が、低い。
彼が怒っているのだろうか? だとしたら一体なんで、何に怒るのだ? あの温厚な彼が。
エンディオが続ける。
「だがな、知らずにいるんだ。
その『地帝』を生み出した更に上の位置に居る者が存在すると言う事を。」
『地帝』より、上を行く者。 創造主を生み出した者。
そんな事、聞いた事が無い。
そんな話、 そんな世の中がひっくり返りそうな。
「確かに居るんだよムシュリカさん。 俺達は知っているんだ。
『地帝』を超える『神』が存在すると言う事を。
『地帝ガイラ』が実際に居て、そして只の『魔族』だったと言う事を。」
ただの『魔族』?
ムシュリカは急に二人が怖くなった。
「そして『ヨニ教』の中にあるんだ。 『地帝ガイラ』が地の底で眠り続けていると言う『詩』の一節が。
『魔術』の力が永遠に循環し続けられるよう管理していると言う事を。」
そんな一節があったのだろうか。半信半疑である。
何を言っているのだ? 何を考えているのだ? 何を、見ているのだ?
彼らの話の相槌も、打つべき所が分からなくなってくる。
『ヨニ教』の信仰に熱心なヴァシュクやマニカが聞いたら、一体どんな顔をするのだろう。
今までの世界観が壊される事に繋がるので、彼女達は怒るのだろうか?悲しむのだろうか?
何にせよ世界中の信者達への脅威になる事は必至だ。 きっと世界中が狂気し怒号が飛び交うのだろう。
『騙された』と。
「その為の『マフナタリス』だ。 来るべき『魔術』と『科学』戦争への対抗手段。
『神』と言う偶像などいないと言う事を突きつけ、人間文明の『科学』が優れると言う事を示す白羽の矢。」
クローディアは、決定打となる言葉を言った。
そう。 彼はムシュリカと同じ、神を信じない『無神論者』だ。 たった今、ムシュリカは思い出した。
「俺達は、証明するのさ。
『地帝ガイラ』が絶対でないと言う事を。
そしてその『地帝』を超える創造主、即ち『天帝』の存在の表明。
『魔術』を超越した、人間の編み出した『科学』が先駆している事を俺達で暴くんだ。」
同じくエンディオの言葉は、明確且つ納得のいく答えだった。
それは狂気の中毒者、皇帝も知っているのであろうか?
否、彼が賛成する筈が無い。
だとしたらクローディア独断の反乱なのか? そんな馬鹿な、 そんな馬鹿な話があるか!
『魔族』とは、彼らとは戦争中毒者。 ムシュリカはそれを知っている筈だったのだ。
なんで今まで気付かなかったのだ、気づけたはずだろう! 知っていた筈ではないか、傍にいたではないか!
ほとほとクローディアに無知でいる自分が嫌になった。
だが、
そんな事、そんな事をして何になると言うのだ。
何の利益にもならない、むしろ身を滅ぼすと言う事になる。
世界宗教に矢を放ち、そして国を大混乱へと貶めるなど馬鹿げてる。
一体何がしたいのだ?
「俺達はこの国を、この嘘だらけの世界に『真実』を突きつけるのだ。
多くの『魔族』達と『思想者』を礎とし、真の『自由』を掲げる。
その時こそ世界も秩序も生まれ変わり、『捕虜』の存在も必要なくなる。」
クローディアは今、何と言ったのだろうか?
秩序を変える? 『捕虜』が必要なくなる?
それは即ちどう言う意味なのだ。
『天帝』やら『魔術』と『科学』やら訳が分からない。
話が凄すぎて突飛しすぎて頭が追いつかない。
「つまり・・・一体、 貴方達は一体何を・・・っ?」
頭が、ガンガンする。
丸で打ち付けられているかのようだ。 眼が眩んで来た。
最後まで聞かなければ。と、ムシュリカは拳を握りしめ意識を保った。
ぼやけつつある視界に映るクローディアが言う。
「俺達は、国を壊す。 全てを戻す。
死の都に堕ちたこの国を一掃する為に。 この世界を『巻き込む』。」
即ち、『革命』。
彼は常識を、変えると言うのだ。
そんな事、 今の『常識』で暮らしている人々は、どうなるのだ?
「皇子様、エンディオさん・・・。 そんな事をしてしまったら、 取り返しのつかない・・・。」
取り返しがつかなくなる所ではない、この世が大きく揺るがる。
ムシュリカの足りない頭でも、馬鹿でもわかる。
掠れる声で、ムシュリカは二人を止めようと思った。
だが、無駄のようだった。
「悪いがそうもいかないんだ。
ムシュリカさん。 そうもいかなくなったんだ。」
「今ならまだ、 ・・・間に合います!!」
とにかく必死だった。
ここで、 世界中でこの二人を止められるのはムシュリカだけであろう。
分かっているからこそ止めるのだ。
でもその願いも悲しく、エンディオは『無理だ。』と告げて切り捨てた。
「誰かが気づいたところで、もう止める術はなくなっている。」
それは死刑宣告に近かった。
クラクラする。 目眩と、世界が反転する衝動を感じる。
「あんたはやたらと争いごとを嫌うが、・・・一体『戦争』の何がいけないんだ?
『戦争』を見たことあるのか? 感じたことがあるのか?
『いけない事』だと、言える権利があんたにあるのか?
『戦場』が何かって?
敵も味方も死んでいって、誰が生き残るのか分からない、地獄そのものだ。
人が殺されて、自分も手を汚しながら生きていく。 アンタは目の前でそれを見たことあるか?
犠牲も『平和』の一貫で、『平和』は犠牲があってこそのものなんだ。
全部知っていてのことだ。 犠牲は無くてはならないものなんだよ。それが『世界』なんだ。」
ああそうだ。
ムシュリカは戦争を知らない。
本や話で分かる限りのことしか知らない。 その程度の今年か知らない。
『平和』を生きてきた物知らずかもしれない。
でもエンディオの言うように、だからと言って一掃なんて強引な手段をとらなくても良いではないか。
死の都なんて、なんでそんな悲しいことをいうのだ。
今まで見てきた筈だろう? 活気に満ちた夢を見る国民達を。
少なくとも『捕虜』として連れてこられた人たちが何をしたのだ。
そんなの身勝手すぎる! 理不尽すぎる!
もっと他に方法がある筈。 他に何かを変えるやり方を考えるのだ。
なんでそれを考えないのだ!
「『魔族』も『魔術』も、何も変わらない。 変わる事が無いものが、いつまでも放置して良いわけが無い。」
「そ・・・な、こと・・・。」
『そんな事言って、貴方は変わったじゃないですか。』 そう言いたかったが、もう気力も体力も限界だった。
ムシュリカはその場に崩れるように倒れた。
倒れる身体を支えてくれるのは、良く知っている匂い。
一番身近なあの人に支えられているのだ。
「俺達は俺達の『自由』を得る為に、すべき事と選択した。
お前も『自由』を恋いる者なら、何故それも必要悪と思えないのだ?」
耳元で聞こえる声は、どうしてか優しかった。
とてもとても、哀しく感じた。
*
サザンカが似合っていると彼は言った。
アーサーさんは、私がどんな気持ちなのか知っているのだろうか。
私は、貴方が大好き。
ムシュリカが思っている以上に、私はアーサーさんを慕っている。
だからアーサーさんが思うことなら何でも叶えたい。
アーサーさんの信じるものなら、私は何だろうと信じる。
今、町中に触れ回っている『地帝の堕落』。
アーサーさんが私に命じて、至る所に私が噂をした。
もうじき王宮の御触書にも載るのだろう。
『魔族に仇なす噂を流すものは、王宮の裁判官直々に裁く。』
といった、おっかない物が。
立場的に私は危険であるが、そのときはもっと大変な事態になっている筈。
だから大して不安は無い。
私の噂は百発百中って皆知っているから、今は町中大混乱。
まさかこれが火蓋になるなんて、流した自分自身が信じられないくらい。
ヴァシュクも驚くんだろうな。
あの子は『ヨニ教』の信仰者だったんだしね。
ごめんね、ヴァシュク。 私こんな奴で。 私はやっぱり『人間』なんだよ。
傷つくんだろうね。 泣くんだろうね。 もっと『魔族』を恨むんだろうね。
私だって『魔族』は嫌い。
理不尽すぎるし、ずーっと贅沢してるし羨ましいし、『人間』より綺麗なんだもん。
妬ましく思うよ。 でもアーサーさんは、そういう人じゃないから好きなんだ。
だから、いつか謝りに行くから。
アーサーさんが作ろうとしている国なら、私もきっと幸せになれる。
私は、そう思う。
「私も、もう自分のために生きていけるんだ・・・。」
離れていった故郷が懐かしいな。
思えば始めてここへ来たときは地獄だったな。
周りの人は碌な扱いをしてくれない。
ご飯も服も、普通の人よりずーっと粗末で汚いものばかり。
ムシュリカが傍にいなかったら、私はどうにかなってたな。
アーサーさんに出会って、毎日がキラキラになったな。
ムシュリカは、私とヴァシュクの中心だった。
支え続けて傍に居続けてくれて、私は一人じゃないって思えたんだ。
だから親にも姉にも似たムシュリカを『王宮』なんて場所に放り込むのは、始めは反対した。
だってムシュリカと離れることになる。
いつかムシュリカの為になるって言葉を信じて、だから私は勧めたんだ。
ムシュリカの歌は凄く素敵だったから『魔族』の人も気に入るんだろうと思った。
それが『皇太子様』と知った時は、そりゃあ驚いた。
そう言えば、ムシュリカの出世を触れ回ったのも私だったっけ。
もう使われることは無いのだろう機織りを触りながら、思いを馳せていた。
窓辺の向こうで王宮が見える。
アーサーさんの話では、城にはすごい秘密があるんだとか。
城に入れるようになったら、私もそこへ行って見たいな。
ムシュリカも見ているだろうから。
私も城へと行けるようになった時、ムシュリカは始めは暗かったけど、
月が経つにつれて、元の明るさを取り戻していった。
気がつくと傍に仕えている『皇子様』の話ばかりしているから、きっと・・・。
きっと私と同じ穴に嵌ってしまったのだろう。
私と同様の救いようのない大馬鹿に。
それがどんな繋がりで、どんな形だろうとそう言う事なのだろう。
私だって、おかしな繋がりでおかしな形でアーサーさんの傍にいるから。
外の騒がしさは、さらに増している。
窓の下では多くの『捕虜』の者達が相談しあい、私を責め捲くし立てるような声が聞こえる。
「だから俺たちは、『魔族』に騙されていたんだ!」
「嘘でしょう? だって『ヨニ教』によれば『地帝様』の末裔じゃないのさ。」
「その『地帝』がこの世にいないんじゃ、『魔族』の存在意義もねぇじゃねぇのさ!」
「違う違う。『地帝』はいるよ。 『教会』の方だってそれを証明しているだろう?」
「そのとおり。 どこと知らない奴が流した只の妄言だ。」
「科学が証明するさ。 地を掘り続けても何も起こらないなら、『地帝神』は居ないってことだろ。」
「そうは言ってもねぇ・・・。 『魔族』の奴にも色々と世話にはなったし・・・。」
「ここで奴らにやり返さなけりゃ、一体いつ仕返しが出来るんだ!!」
「アーサー様は違うでしょう? あの人はいつも誰であろうと待遇よくしてくれるし。」
「『魔族』なら皆一緒だ!」
「そうだ! 旅の行者から聞いたが隣国のラクシュミュトでも『魔族』は悪だと噂されているんだぜ。」
「他所は他所、ウチはウチだろ?」
「関係ねぇよ! 俺たちを騙していたのは一緒だろ!?」
「こんな噂聞いて、『魔族』は何ていうんだか・・。」
「俺たちばかり何時もマズイ飯なんだぜ!」
「『魔族』は世界の先駆者だろう。 彼らには恩があるのに、彼らだけ『悪』と言うのは頂けないな。」
「『魔族』の肩を持つ気か!!? 手前ぇ!!」
祭りかなんかの話し声のようだ。
もっとも楽しいものでないのは聞いていて承知だけど。
よく分からない罪悪感が私を締める。
アーサーさん。
貴方はこの国のために地位も権威も捨ててまで、作り変えようとしているんですよね。
私も貴方のために、この国の礎になります。
貴方のそばに居られるなら、何だって。
貴方がどんなに堕ちてしまっても、傷つき続けても私だけは貴方の傍に。
「馬鹿みたいに騒いだところで、どうにも成りはしないのに。」
下で騒いでいる同僚たちに、私はそう言った。
アーサーさんから初めて真実を聞いたとき、私も下の彼らと同じような反応だった。
どうせ皆、解放されるんだからもっと喜べば? 前向きになればいいのに。
他の人なんて興味ない。
私は、アーサーさんだけ。
そう言えば、私に合った花は『理想の恋』との隠れた意味があるらしい。
私を指している。
胸がどんどん高鳴っていく。
これが理想の恋と言うならば、私はその『恋』に命以上に必死らしい。
さて、私もそろそろ城へ行こうかな。
私だけ貴方に付いて行かないなんて事ないでしょう?
追いかけます。 貴方の傍で尽くせるなら。
だって、・・・アーサーさん。 『自由』ってどういう事?
私はアーサーさんの傍なら、自由なんて要らない。
まるで捨てるかのように。 私を置いてどこかへ行ってしまうつもり?
みんなを傷つけたくないと貴方は言っていたけど、貴方は周りの人間が傷ついていくのを恐れているだけ。
それで何の繋がりもなかったかのように今更戻したってそうはいかない。
みんな、貴方達で傷ついてきたんです。
私は貴方に傷つけられたわけじゃないけれど、それでも『魔族』を怒る気持ちはある。
だからこそ、貴方をどこまでも追いかけます。
私たちの気持ちを貴方に伝えるために。
でも、私はもっと許せない。
本当はそれ程嫌いでもないのに、『魔族』を嫌いと罵るサリネ。
私は、あんたみたいに成り得ないのに。
あんたみたいに正面から向き合うことなんて出来ないのに。
あんたはいつも得してばっかり。
何でも欲しいものは手に入れて、ムシュリカとどこかへ逃げ出そうとしている。
私の友達を、好きな人を、生活を。
嫌い。
嫌いなくせにアーサーさんの傍に居るサリネが大嫌い。大嫌い。
許せない。
ムシュリカをも嫉んでいる。 私の中で、ムシュリカまで『敵』になりつつある。
アーサーさん。 私、知ってるの。
貴方がムシュリカの事を、誰より愛しく思っていることを。
*
「やはり、この『マフナタリス』の光が堪えたんでしょうね。」
エンディオは巨大な螺旋の建築物を眺めながら、クローディアに言った。
特殊な鉱石を混ぜて作った合金は、輝き方で『人間』の身体に麻痺の様な毒を与えるという。
何の防具も無しに直視したムシュリカが、ずっと耐えていられる訳が無かった。
「・・・まだ召集命令は送っていなかった筈だ。」
彼一人で伝えるつもりだったのだ。
何にしろムシュリカは驚くことになるが、知らなくていい所を訊ねられずにすむ筈だったのに。
クローディアはエンディオが伝えた『マフナタリス』中核の真実に未だ腹を立てている。
それの証拠にしばらく無言だった彼は低い声で問うた。
「上の管制塔から見えたんですよ。
俺の居ない間にムシュリカさんに事を伝えようとしていたのでしょう?
アンタは回りくどい言い方しか彼女にしないじゃないですか。
ムシュリカさんに伝えるとしたら、明確な答えを言うべきだ。
周りで何が起こるかなんて、この人は直ぐに分かる。」
結局無駄だったのだ。
クローディアや外野が何を考えようと、ムシュリカは知らなくてもいい真実を知ってしまう。
彼女は『探求者』だ。
周りに散らばる真実を拾い集めて、自然と傷ついていってそして受け止めていくのだ。
アーサーとの約束を一つ破ることになった。
「何故、直にあれを見せる必要があったんですか?」
「コイツには、直に見せなければ意味が無いのと一緒だからだ。
自身の眼で見てこそ、初めて意味を為す。」
クローディアに問いかけるエンディオは声が沈んでいた。
『真実』は告げる側も知る側も後味の悪い物しか残さない。
出来ればムシュリカには最後まで黙っておきたかったのだ。
この城の中心に近い所に居て、一番無関係である彼女はこの先有利な立場になるとは言えない。
何も知らずに国の外に出せたらと思った事もあった。
だが、クローディアは手放さなかった。
いよいよ計画の始動をする直前まで。
「・・・エンディオ。 俺もまた・・・、」
クローディアは静かにムシュリカを横たわらせ呟くように言った。
エンディオは振り返った。 彼が珍しく落ち込んでいるように見えたから。
クローディアは、ムシュリカを見ていた。
ここまでムシュリカを手放したくないと思う自分を認めたくなかった。
たった一人の人間に固執するような、子供じみた醜態を晒したくなかった。
彼女には知って欲しいと思う自分が居る事に、気付いておきながら。
クローディアは卑怯だった。
「俺もアーサーを馬鹿だ愚かだと言っておきながら、・・・『人間』に何かを求めていたのかもしれん。」
溜め息まじりに、呆れた声でそう言った。
でもエンディオはそれに便乗する事は無かった。
寧ろ彼の言葉で安らいだようで、諭すように言った。
「クロード様・・・俺も半分人間をやってますが、何が『人間』で何が『魔族』なのか未だ区別がつきません。」
エンディオは再び螺旋歯を眺めながら、思いを馳せた。
クローディアはそれでもムシュリカを見ていた。 彼女を見なければならない気がしたから。
「今の俺でさえ、それは『人間の俺』か『魔族の俺』か分かった覚えが無い。
狭間の立場にいても、どっち付かずの答えばかりだ。
結局、分かった事なんて今の一度も、無いんです。
今も『魔族』が求めて仕方が無い、『感情』の仕組みの解釈がつかないのも何となく分かる気がします。」
彼らは『歌』に心を込めて謳うなど出来ないのだ。
『魔族』は、『文字』は理解出来ても『感情』は否定し拒絶するのだから。
だからこそ『豊穣の舞』の『歌姫』は優遇される。
彼女達は『詩の超越者』であり『心の伝道者』だから。
『心』が理解出来ない『魔族』にとって、何より魅力的だったのだ。
クローディアはまだ黙っていた。
ずっとムシュリカを見つめて、彼女を見守ってた。
「『心』を『感情』と言うなら・・・クロード様、俺達『魔族』にも『心』があるんじゃないんですかねぇ。」
今までエンディオの言葉を、クローディアはハッキリと否定した。
「お前は何を言っているんだ? 『心』を『感情』と言うのならそれは人間にしか備わっていない物だ。」
反論して初めて、クローディアはエンディオを見た。
彼は否定したかった。
自分の中の根幹と言うべき所に人間と同じものがあるなど、そう思いたくなかった。
人間の様な、愚かしく無知な種族達と同等の物を持つなど、 堪えられなかった。
「本来『魔族』に有るべきでない物だ。 お前もアーサーと同じ様な馬鹿の類いにでもなったのか?」
エンディオの言い分は、思い出す所アーサーに至った。
彼も前々言っていたのだ。
人間と接しているうちに、人間の『感情』を理解しつつあると。
クローディアはそんな物、知りたくなかった。
「そう言う意味で言ったんじゃありませんよ・・・。
俺のは定義じゃなくて、ただの・・・そう願望です。
そうあってほしい、ああだったらと・・・、答えとは程遠い欠陥ばかりの結論だ。」
『気にしなさんな。』 とエンディオは笑って言ったが、クローディアは不機嫌そうだ。
まとまっていない、いい加減な物などクローディアにしてみれば我慢ならない物だからである。
だが、クローディアも惹かれているのは事実なのだ。
ムシュリカが側に居る事で、芽生え始めている温かいもの。
側に居れば分かるのかもしれないと思ったが、どうにもこうにも未だに理解出来ない。
直ぐに理解出来るであろう。 ちっぽけな人間でも持ち合わせているモノなのだからと、鷹を括っていたのだ。
そんな小さいと思った物が、探れば探るほど深く、そして脆いものと知った時、 クローディアは 悟ったのだ。
永遠に、それを理解するのは不可能なのだと。
それを理解した時、ムシュリカを手放そうと思った。
だが、それをしようとしなかった。
だって彼は、
「それよりも、これから彼女をどうするんですか?」
エンディオが思い出したようにクローディアに問いかけた。
彼は不機嫌を残しながらも、ムシュリカの話が出ると無理矢理それを抑えて話し始めた。
「俺の部屋にでも寝かせておけ。」
「・・・っいいんですかい!?」
彼女の処遇がそうなるとは思ってもおらず、エンディオは思わず素で驚いた。
彼の声を遮ってクローディアは続けた。
「ああ。 どうせもう戻らん。
他の奴に使わせるより、コイツに使ってもらう方がマシだ。」
最後の優しさのつもりなのだろうか。
彼がこんな事を言うのも、前々からムシュリカが彼の寝床を羨ましがっていたからだ。
数年一緒にいながら未だ彼女の事を理解出来ないでいる以上、彼に出来る精一杯の事だった。
あの部屋もじきに無くなる。
後悔も後腐れも無い。 やっと檻の様なあの部屋から抜け出す事が出来る。
「けれど、もう俺達のする事を知っちまったでしょう? このまま放置しておくんですか?」
秘密を知った者は、口外される前に処罰する。
それが誰であろうと何者でも口を封じなくてはならない。 『魔族』筋の鉄の掟だ。
ムシュリカとて例外ではない。 寝かせるだけで済む筈が無いのだ。
「こいつはもう今日限りで解雇だ。
コイツが何を言おうが、ただの狂言としか思わんだろう。
それに眼を覚ました後で誰に何を言おうが、 その時は全てが始まっている。」
それが、アーサーと交わしたもう一つの約束でもあった。
ムシュリカは受け入れる事を拒んだのだから。 彼女は耐え切れなかったのだ。
大凡予知していた事ではあったけど、やはり現実となると切なくなる。
約束は、守る。 彼は『魔族』だから。
ムシュリカが眼を覚ました時、彼らの作戦は既に実行に移っている。
彼女が叫んだ所で、何一つ止まりはしないのだ。
「クビって・・・そんなんで彼女は納得しますか?」
「国外へ出す。 それなら喜んで頷くだろう。」
『どうせなら、あの大口女も共に追い出そう』とクローディアは続けた。
エンディオの記憶にある中で、それはサリネの事だと直ぐに分かった。
だが彼女もそれで、納得するとは思えない。
「怒りますよ、サリネ嬢は・・・。」
「『自由』にさせるのに文句は言わせん。」
確かに彼女は『自由』になりたいと言っていたけれど、
ムシュリカが悲しむであろう『自由』を喜んで受け取るであろうか?
それどころか殴りにくるではなかろうか。
「ムシュリカさんは、きっと貴方を追いかけますよ・・・。」
再度、クローディアに尋ねるように言った。
黒衣の皇子は、知っていた。
彼女が何度突っぱねても、きっと追いかけてくる事に。
そんな面倒で頑固な彼女は、納得するまで問いつめてくるのだろうと。
ムシュリカは何度も聞いてくるであろう。
だが答えを変える訳にはいかないのだ。
クローディアは既に、選択してしまったから。
だから、彼女をこれ以上、傷つけたくないし巻き込みたくないのだ。
だって彼は、
「もう顔を合わせるつもりも無い。 俺はコイツとは無関係だ。
いいかエンディオ。 コイツはもう『皇太子付き』ではない、ただの『人間』だ。
赤の他人の指図を受ける程、俺は暇ではない。」
何て辛辣な言い方だろう。
今まで彼女と共に居ておきながら、何と言う裏切りであろう。
だが、そうするのが一番良いのだと言う事はエンディオも分かっていたから何も言わなかった。
エンディオも、ムシュリカが大切だからだ。
彼女は何からも傷つかずに、出来れば余生は幸せに生きて欲しいと思うのは、思うだけならいいだろう。
最早、破滅の道しか残されていない彼には。
「エンディオ近衛隊長。 コイツを頼んだぞ。」
クローディアはエンディオにムシュリカを運ぶよう指示した。
エンディオは酷く険しい顔をして、クローディアに告げた。
「御意。」
押し殺した様な、低い声だった。
そうして彼は踵を返して甲冑へ着替える為に戻って行った。
その場に残されたのは二人だけとなった。
彼女が起きていた時とは違って、寂しく空しい空間だ。
眠り続けているムシュリカに、クローディアは足を折って彼女と顔を合わせた。
数年間ずっと見て来た顔である。
これも見納めかと思うと、いつまでも見続けなくては成らない気がしたのだ。
自分とは全く違った顔である。
嗜好も、力も、生まれも違う。 何もかもが違う別の生き物。
臆病であるが意思は堅実で、慈しみが深く他人ばかり気遣うお節介。
それに加えて、 とても脆い。
知るのが出来た事は、とても少なすぎて。
でもそれでも十分な気がして。
「おかしなものだ・・・。」
手放すと言っておきながら、今更放したくないと思うとは。
何時から自分はこんなに意思が弱くなったのだろう。
さっきからムシュリカの事を考える度、彼の中では矛盾した感情ばかりが溢れ出す。
ああ、俺もいつから脆くなったのだ。 と自分の心に問いながら、クローディアは彼女の頬にそっと触れた。
わずかに温かく、柔い肌だ。
疲れの所為か少し冷たい気もしたけど、徐々に治まって彼の指に馴染んだ。
そして、ムシュリカの顔を眺めて気がついたのだ。
彼女の目尻に少しずつ涙が溜まっている事に。
先程の話を、夢の中でも見ているのだろうか。
そう思い、涙を指で拭き取った。
「お前は・・・また泣くのか。」
思えば、ムシュリカはクローディアの前でよく泣いた。
初めてあった時、初めて『詩』を願った時と、 心が何かが溢れる度に彼女は泣いた。
今も、泣きたい程辛いのだろうか。
「泣く位なら、 何で生まれてきたんだ?」
泣いた事が無いクローディアには途方も無いものだった。
だけど今ムシュリカが泣いている時、眼を背けたくなったのだ。
いつもなら泣き止むまで見ている筈なのに。
「切り無き道だ。 それに加えどこまでも・・・お前は俺に付きまとうのだな。」
記憶の中にある今だ離れず燻り続けている影。
毒や火傷のように疼きながら、未だにクローディアを蝕むもの。
記憶の中、呪っている者。
その者への、憎悪を。
思えば、その人も泣いていた。
泣きたい時は、どんな時であろうと子供のように喚きながら。
「お前が悪い。」
そう思うしかない。
「お前自身の報いだ、」
そう決めるしかない。
嗚呼、『詩』などどうして この世に生まれてしまったのだ。
何故、こんな事になってしまうのだろう。
でもそれは、彼の抵抗なのだ。
彼を裏切り続けたのは、人々そのものなのだから。
彼は、恨むしかなかったのだ。
一心にそれをつぎ込み続けていた。
だからそれを癒せる『詩』を、求め続けていた。
「そうだろう、 ムシュリカ。」
誰もいない。 誰も聞いてない所で、彼はそう一言彼女の耳元で呟いた。
初めて、名前を呼んだ瞬間だった。
だって彼は、
彼女の事を大切に思っているから。
了