ラクシュミ 〜221譜の讃歌〜
『序章・再編催眠』 rivoluzione
『 全てはその日に始まった。
悪意の業の名を持つ、彼が生まれ落ちたその日から。
そして私は蘇った。
孤独な彼に『詩』を謳う為に。 世界を謳う為に。
彼を包みこむ。 命を護る母のように。
《誕辰 序章》 クローディア・エクリッセ』
祭暦 0年
帝都シャクルム 王宮最下層 マフナタリス工廠
「異議は無い。 だが、ムシュリカは私が連れて行く。」
サリネは断言した。
向かいに居るクローディアは、サリネの顔を黙って睨む。
お互い嫌っているのだ。
「くどいな。 元々そうさせるつもりだ。」
鼻で笑うように言えば、今度はサリネの顔が険しくなった。
その形相は空間の赤い灯りと合わさり、より怒りが鮮明に表れた。
クローディアは続けた。
「一体何が不満だ? 富か、名声か、それとも保障か?
お前達が出て行く際なら、幾らでも手配してやろう。
退職の条件となれば、これほど美味い物もないだろう。」
「ふざけるな!」 と、サリネは腹の底からクローディアに叫んだ。
我慢の限界だった。 『皇子』だろうと、『魔族』だろうと、もう躊躇うものか。
「くどいのは、どっちだと思っている!
なら始めから、ムシュリカを巻き込むな! 私にも関わるな!
だから私はアンタにムシュリカを会わせたく無かったんだ!!」
サリネの隣で「落ち着けよ。」と、アーサーが宥めようとも言葉は止まらない。
もっとも彼もクローディアが約束を破った事もあるので、本気で止めようと思わなかった。
そして元はと言えば、アーサーにも原因は有るのだ。
だが、彼女の意見は確かに筋が通っている。
何もかも有耶無耶になっているのは、クローディアの行動だ。
「思えば昔からお前はそうだったな。
いつだって勝手な事言って、アタシ等引っ掻き回した後、勝手にしろと放置する。
責任も報いも、アタシ等を盾にして、犠牲が治まるまでどっかで隠れて待っている。
卑怯で汚い、『馬鹿共』と一緒だ!」
「サリネ! コイツだってそれは承知なんだ!
全部承知で、これから起こす『この事』を実行に移している!
痛みを知らない訳じゃない、ただ・・・―――、」
「『ただ』何だ!?
結局はまた逃げる気なんだろ! だから私は『皇子様』に宣告してるんだ!
―――お前も死ぬべきだってな!」
「サリネ! 君もいい加減に!」
いつの間にか、言い争いをしているのはサリネとアーサーになっていた。
蚊帳の外のように過ごしているクローディアは、マフナタリスの妖光を眺めていた。
月の様な、死の光だ。
これを設計したのが『人間』であるのだから、はやり人間の『進化』の力を評価せずにはいられない。
それが、蔑視すべき生き物であってもだ。
限られた発展でも変化する彼らは『魔族』をその内凌いでしまうだろうと、そんな予測が過る。
「うるさいぞ。いい加減にしろ。」
そのクローディアの一言で、口争いをしていた二人はピタと止まった。
顔に堪らん位の怒りを露にしたサリネは、彼に掴み掛かった。
「お前はあの時、殺しておくべきだった!!
あの娘を二度も殺すのか!? どんな想いであの娘は・・・!!」
「『計画』の話に移る。」
サリネの手を払い除け、言葉を遮ってクローディアは言った。
彼女は舌打をして、乱暴に背を向けて立ち去り始めた。
「おい!! サリネ!?」
アーサーは遠のくサリネに呼びかけたが、彼女は歩き続けるだけで言葉を返そうともしなかった。
彼は溜め息を吐いて、クローディアに言った。
「話くらい聞いてやったらどうなんだ? 彼女だって当事者なんだぞ。」
「知った事か。 当事者も何も、どいつも始めから好き勝手に動いているだろ。」
サリネの事など知った事かと、クローディアも彼女を無視した。
恐らく彼女の向かう先が何処なのか承知だからだろう。
「まあ・・・ムシュリカちゃんの事はサリネに任せるとして、君に紹介したい人がもう一人いるんだ。」
「手短に済ませろ。」
「それが・・・周りを見る通りに・・・。」
肝心のその人物は未だ其処にはいない。
予定された時刻までには間に合うと言っていたのだが、思った以上に検問がかかるらしい。
エンディオもムシュリカを連れてしまった上、この場所に帰ってくるまで時間がかかる。
仕方ないので、今いる二人だけで計画の手順を見直す事にした。
「もう承知と思うが、まず全国民に『モグラ』の表明をする。」
もう他国にはその情報は伝わっているのだろう。
今頃『ラーヴァ自治区』の方では、混乱が起こっているに違いない。
僧兵達が『ヴェーダルド』に攻めて来るのも時間の問題である。
「・・・やがて反乱軍共もそれに加担してくる。」
反乱軍は、『魔族』討伐派である。
『魔族』の粗探しに精を出すような連中なので、『モグラ』の意味もやがて理解する。
そしてそれを国民に『モグラ』の意味を広め、国の中の信者達は王宮と寺院を取り囲むのであろう。
「それは地方の『魔族』達も一緒だ。 彼らも攻撃対象になる。」
元から選民意識の強かった『魔族』だが、これを切欠に弱体化して行く。
『魔族』の神秘性は、地に堕ちる。
そうなった時、『人間』・『獣人』達の復讐が始まるのだ。
「『魔族』は削減されていく。 世界に罰せられる。」
「生き残った強い種だけが残り、『魔族』もまた再構築されて行く。」
今まで何も知らなかった物も居ろう。 だがこれは世界を構築する為に必要な犠牲。
一度『魔族』は再構築するべきなのだ。
変化の無い彼らに絶滅の危機と欲深さを思い知らしめる為の、進化への啓示。
それはきっと、国にも『世界』の為にもなる。
「とは言え、お前は痛まないのか? 世界や国の為とは言え、同胞を皆殺しにするかもしれないと言う事を、」
「忘れてないか? 俺は『魔族』ではない。」
アーサーは、諦めた。
クローディアは、もう止める気など無いのだ。 彼は、あくまで実行するのだ。
「そうだったな・・・。 お前は、俺達側の味方って訳では無いんだよな。」
「当たり前だ。」
彼は味方でいる訳にはいかない。彼は外れ者なのだ。
だからこそアーサーも彼に一切容赦の言葉もかける必要も無い。
今まで彼と長い事付き合えたのは、それもあるお陰なのかもしれない。
クローディアに遠慮も窺いも無い分、一番彼を知る事が出来たのだから。
彼と『親友』で、いられたのだから。
「すまない、話を戻そう。
ここに『革命軍』が押し掛けてくる、だが君はその間に・・・。」
「『満の間』へ行く。」
『満の間』とは、皇帝リベリオンの王座の間の事である。
それ即ち、彼の元へと会いに行く事。
「陛下はきっと居る。 彼は高見から、城の様子を窺っている筈だしね。」
「あの哀れな傀儡へ、俺直々に引導を渡す。」
そう、この計画は『戦争中毒』の皇帝が居ては邪魔なのだ。
何も知らずに『犠牲』を楽しむ皇帝を、これ以上放置したままで良い訳が無い。
「戦犯者は罰せなければならない。」
それ以上の残酷な人間が何を言っているのだろうか。
だが多くの者が死ぬ中、真の罪人の皇帝は生き残る。 そうはいかない。
彼もその命を持って、贖罪を行わせるのだ。
「『それ』を行った後、俺は、」
「君を僕は地下通路から逃がすよ。
護衛にはエンディオが付くし、帝国の手の者もそこまでは届かない筈だ。」
それが彼らの計画。
実行者はアーサーと特定され、存在が有耶無耶だった皇子の遺骸が無い以上『存在しなかった者』という流れになる。
皇太子討伐隊も結成されるだろうが、そう長い期間ではないだろう。
そうして悪大国『ヴェーダルド』は共和制へと転身させ、もう一つの『ラクシュミュト』を作り上げるよう誘導するのだ。
『魔族』の最後の戦争で、 最後の『贖罪』となる。
「けれど、その通りに行くかどうかは保障は無い。
何せ『常識』が変わる事だ。そう簡単に共和制になるとは思えない。
此所数十年、紛争がおこると予想しても良いだろう。」
人々は、『魔族』から離れた文明など築けるものなのだろうか。
『常識』は人を形作る要素となる物である。
『魔族』が消えて、冷静に国の発展を考える事が出来る者など、多く居るとは思えない。
「後のそれはお前の知恵次第だ。
更に少数になる魔族の待遇も、国の在り方も、『人間』の行く末も。
時は掛かれどもお前の行動が、『人間』や『獣人』の柔軟な意識を更に高める事になろう。」
最後まで勝手な奴だ。 最低の皇子だ。
そう思いながらも憎めない親友に、苦笑して彼は肯定した。
アーサーも愛しつつ有るからだ。 この国もこの世界も、周りの様々な事が。
承諾が分かると、クローディアも溜め息まじりに安堵の意を示した。
「・・・すまなかった。」
クローディアの突然の謝罪にアーサーは目を開いてそちらを向く。
謝ったのだ。あのクローディアが。
彼はアーサーから背を向けて、『マフナタリス』を眺めていた。
「結局、お前との誓を守れず、 あの娘は真実を知った。」
そのことか。 そんなことは・・・、
「大方予感はしていたさ。 今更何だよ?」
多少の強がりもある。
だが大幅は本心であり、言葉には嘘はない。
しかしクローディアは納得がいかないのか、歯切れ悪くアーサーに尋ねた。
「お前のことだ。 殴られると、思ったんだが。」
「そんな・・・むしろ殴られるのは僕のほうだしなぁ。
城に連れてきた時でさえ、サリネに殴られたからね。」
殴られたのか。
成る程。 自分も同等かそれ以上の約束破りなら、とても言えた立場ではない。
クローディアと違い、『隠している』のでなく『嘘つき』なのだから。
すると遠くで、カンカンと鉄の上を歩く音が聞こえて来た。
どんなに離れてようと、分かる。
それは良く見慣れた顔なのだから。
「遅かったじゃないか。 検問の兵士にでも軟派されていたのかい?」
「茶化すのは止して・・・。 よく会ってるのに、『捕虜』だと規制が厳しいの・・・。」
挨拶代わりにアーサーが言った言葉は、その当人を逆に疲れさせたようだった。
それに「悪い、悪い。」と、アーサーは軽く謝って、クローディアに向き合ってその者を良く見せた。
灰色の髪、そして肘から肩にかけての羽毛の体毛。
白い瞳。耳は小さく、背丈も低いその者は、
「そいつが、か。」
「遅くなったが、彼女は『闇喰鳥』のヴァシュク。」
アーサーの背後の彼女は、頭を下げず、また恭しく礼する事無く、クローディアに軽く頭を下げた。
それはあくまで社交辞令のような態度だった。
「君と共にリベリオン皇帝の抹殺に頼もしい働きをしてくれる筈だ。」
ヴァシュクがクローディアへ見つめる目はとても、とても無感動であった。
それは、クローディアが人間を見ている時と似たような眼だった。
*
頭が重い。 しかし、身体は動くようである。
ムシュリカは未だに疲れのとれない身体をゆっくり動かして、身の状態を確認した。
頭も、腕も脚も動く。
ゆっくりと眼を開く。 見慣れた天井、否、天蓋だ。
「・・・この匂い。 皇子様のっ・・・。」
此所数年ずっと側に居た彼の部屋である。
そして自分が寝かされているのが、クローディアの寝床と分かると眼が冴えた。
ふかふかの心地の良い触りだ。
どれを取っても一級品の造りで、未だ夢現つを曖昧とする。
彼の部屋に訪れる度、何度寝転がりたいと思った事か。
「どうして、こんな場所に・・・。」
どれくらい、眠っていたのだろうか。
自分で言っておいて、先程の『マフナタリス工廠』の事を思い出すと、ハッとして覚醒した。
そう。 とんでもない事実をクローディアとエンディオの口から話されたのだ。
国に天変地異を起こす。 そのような話を。
しかし、周りの静けさとクローディアの部屋の薄暗さの所為か、実感が湧かない。
もしかしたら夢でも見ていたのではないのだろうか。
ムシュリカは頭を抱えた。
夢、ではない。
いっそ夢であって欲しい。
だが彼と共に歩いた道、今だ取れない疲労感。 間違いなく現実なのだろう。
でなければ、此所に居る理由が思いつかない。
まさかクローディアが、自分の国を自らの手で壊すなど。
そのような事は止めなくてはならない。 彼が後悔をする前にどうにかして。
「・・・そう言えば、何でこんな場所で眠っていたの?」
あの遠くの場所から誰が運んでくれたのだろうか。
そしてどうして寄宿舎でなく、クローディアの部屋なのだろうか?
彼はそう指示したのだろうか。
だが、
「皇子・・・様。」
何にしても今はクローディアの身が第一優先である。
ムシュリカは起き上がり、床に足を付けた。
「皇子様・・・が、皇子様がっ・・・!」
繰り返し『彼』を口にして、部屋を抜け出して漆黒の扉を閉じた。
それと同時に廊下を駆け出した。
ひたすら考えるのは、エンディオ、アーサー、そしてクローディアの事ばかり。
やめてやめて、どうかやめて。
ムシュリカの足は確かにある場所へと向かっていた。
彼らの話に寄れば、『国』を滅ぼす計画だ。
なら、彼にあって説得を試みるしか無い。
取り返しのつかない事態になる前に、何としても犠牲をだしてはならない。
彼も『ヴェーダルド』を案じる者なら、犠牲のでない方法を出すのかもしれないから。
ムシュリカが向かっているのは、皇帝リベリオンのいる『満の間』。
リベリオンへの対面の恐怖とか、不安とかは考えられなかった。
今のムシュリカは、クローディアの事でいっぱいだった。
気絶する直前の、彼のあの哀しそうな声が耳元から離れない。
あんな切ない声は初めてだ。
彼の告白と、あの場所はそれほど大きな意味が有るのだ。
それなのに、気絶して話を最後まで聞きそびれた自分が恥ずかしい。
皇帝が恐ろしいから何なのだ。 私は『皇太子付き』なのだ。
自分にそう言い聞かせて、漸くやって来た『満の間』で奮い立たせた。
クローディアのと同じ漆黒の扉だったが、こちらは彼の扉以上に豪勢で恐ろしい程の造り。
厳つい甲冑を装った者達が様々な武具を持ち、悪鬼との命の取り合いを繰り返している戦争と審判のレリーフ。
鎖・鍵・茨の蔦などが端を巡って囲っており、痛さと苦しさが伝わってきた。
地獄への門を彷彿とする。
初めてやって来た部屋、今まで入った事の無い。 ましてや自らの意思で。
誰に言われた訳でも、行く必要の無い場所だった。 今までは。
クローディアが会いに来る事も、皇帝に呼ばれた事はあっても絶対に拒否した『部屋』。
その部屋に足を踏み入れる。
正直、皇帝程の最上の身分に一体どう接したら良いのか思いつかない。
あのクローディアでさえ初めてあった時心臓が止まりそうだったのに、今はそれは来ない。
真っ白になった頭でも繰り返し考えるはクローディア。
ムシュリカは、クローディアの時と同様の作法を扉の前でやった。
三度、小鐘を鳴らす。
急いでいた所為か、少し喧しい感じもしたが今は緊急事態だ。
彼らの命がかかってるのだ。
「皇帝陛下。 不躾ながら、皇太子殿下『皇太子付き』のムシュリカで御座います。 失礼しても宜しいでしょうか?」
自分でも驚く位、冷静な言葉だった。
部屋の中の皇帝は居留守を使うだろうか、小間使いの自分と会ってくれるだろうかと少し心配したが、
「入るがいい・・・。」
との、嗄れた深い声が聞こえるとムシュリカは額に汗を流しながら、ゆっくりと取手に手をかけた。
*
サリネは、すれ違い様にヴァシュクと出会った。
思えば城仕えしてから、随分と長い付き合いになったものである。
「散々な様子だな。」
「アンタ程じゃないわ、サリネ。」
そう、これからヴァシュクは嫌な仕事を引き受ける事になるのだ。
それが彼女が『反乱軍』の一員だからとか、『獣人』だからとかという事ではなく、
命を奪う その命令を受ける事が。
「嫌になるわ。 自分の処遇がこんなのと認めてもね。」
「私だって一緒さ。 好きであの男の下で働いてた訳じゃない。」
「・・・それもそうね。」
意気投合したのは、似た者同士だったからと言うのが近かった。
切欠は何にせよ、サリネは今ヴァシュクとは友達として付き合っている。
それは無限と言えるものではないが。
「ムシュリカには会った?」
「いや。 エンディオがとっくに部屋へ連れてった。
今日中には解雇。 そして私らの『自由』も約束するってバカな話を受けた。」
「へえ。 バカみたい。」
こんな事なら、とっくに変革を起こしておけば良かったものの。
『魔族』は行動が緩慢すぎて嫌になる。
その度溜め息を零すのが、下に付く『捕虜』達なのだから。
「私は兎も角もさ。
アンタは結局、このまま生きるか死ぬかも分からなくなるんだよ?
保障なんて無いし、それでも良い訳?」
命を奪う相手は、この国の最高権力者なのだ。
『皇太子』の命令であっても、それを『正義』と説こうが世論や国民が許すとは思い難い。
幾らアーサーが守ろうとしても、どうなるか想像がつかない。
「いいよ。 どうせ天涯孤独だし。
ここで潔く砕ける方が、『反乱軍』としての示しもつくだろうから。」
『自由』には執着はない。
ただ心残りなのが、置いて行く友人達の事。
「ムシュリカとマニカ。 怒るだろうなぁ。」
正体を明かさなかった事も。 これから死ぬ行く事も。
勝手すぎると大声で言う事だろう。
「ムシュリカには、何も知らずに行って欲しかった。」
「無理だな。 あの娘は此所へ来た時から、傷つく道しか無かった。」
出来れば、なるべくそれから守ってやりたかった。
楽しかった思い出も、辛かった思い出も。
思い出そうとしても記憶は薄い。 けれど何より、一番近かった人達。
ヴァシュクはそれを思うと、心が満たされた。
もう、元には戻れない。
「サリネ・・・。 ムシュリカ達、頼んだよ。」
「ああ。 アンタが帰ってくるまでね。」
ひらひらと手を振りながらサリネは、行くべき所へ歩いて行った。
肩を落として安心すると、ヴァシュクも螺旋刃が見える場所へ向かう。
遠くで、上司と言うべき人が手を振っているのが分かった。
*
部屋へ入ったとき、王の間というのは変わった芳香を用いているのだと思った
軋みの有る音を立てながら、ムシュリカは扉を押し開いた。
随分と重い扉だ。 なぜここには護衛兵も見張りの者も居ないのだろう。
王の間というのに誰もこの扉を護っていないのは、些か不用心な気もした。
扉を閉める際の響き具合から考えてかなりの広さなのだろう。
なぜ部屋の様子が分からないのか。それは周りは灯りも何一つ無く、深淵の闇だったからだ。
それに目の前に一つ、黒と金の地の布が続いているそれだけの世界。
履いている靴がその布を汚さないかと思ってしまったが、今は前へ一歩歩いた。
ムシュリカはそれよりも目先の問題ばかりを考えていたので、そんな事は気にする余地もなかった。
「・・・失礼致します。」
今まであった事も無い、否、本来は会う事など無かったのだろう。
その人物をムシュリカは知っている。
彼は、言って話が通用するとは思えない。 だが、何も言わないよりはマシだ。
もうクローディアを止められるのは、父であり皇帝のリベリオンしか居ないと思った。
だから、ここへムシュリカは来たのだ。
「もっと近う寄れ。」
拒否を許さないその声は、自然とムシュリカの足を進ませた。
先程の勢いはどこへ行ったのだろう。
今やリベリオンの言われるがまま、ムシュリカは従って彼の元に歩いて行った。
重層な鎧、背には獣皮の外套。
漆黒の髪は灰が混じり、その周りの装飾も厳かだ。
常に戦姿に身を包み、近づけば威圧を憶えるその気配。
その姿は、皇帝たる風格。
彼は、大窓の外の夜景を眺めていた。
ポツポツと光るそれは遠目では星のように見えた。
何を思ってそれを見ているのか、近づくムシュリカにも警戒せずに見向きもしない。
皇太子クローディアと皇帝リベリオンの仲は険悪だと聞いている。
その『皇太子付き』が此所へ来て、不自然と思わないのだろうかと疑った。
そう長く無い道のりは終わり、王座の前の階段の前で足を止めた。
ムシュリカは取りあえず伏せて彼へ礼をした。
此所へ彼女が来た事が分かると、彼は言った。
「こうしてお前と出会うのも、思えば『夜会』の『舞』以来になるな。」
「ええ。 お話こそ、有りませんでしたが・・・。」
そう。 二人は確かに出会った。
だが言葉を交わした事も、サリネのように謁見に行く事も無かった。
今までクローディアが許さなかったし、ムシュリカの側にはいつもクローディアが居たからだ。
「側に女を、あろう事か『人間』の『捕虜』を置くようになった時は気でも狂うたと思ったわ・・・。」
ムシュリカは心の中で叫んだ。
違う。 皇子様は貴方と違って、狂ってなどいない。
「お前の才は多くの者を魅了するようにあの時の『夜会』、余も惹かれたものだ。
だが以来、『皇太子』以外にその歌を聞かせる事は無くなった。」
懐かしむように、また恨めしそうに彼は呟いた。
思い返せば、あの時本当に皇帝の元へ連れて行かれたら、彼の下で働く事になっていたのかもしれない。
そんな自分が想像出来なかった。 正直、クローディア以外の者に仕える事は御免である。
そして一度思い出す。
此所で恐れてどうなる? クローディアは言ったのだ。
国を滅ぼすと。
世間話などしている暇はないのだ。
「皇帝陛下。 私は・・・、」
「見よ。 此所からは寺院も港も、全てが見渡せる。」
彼はムシュリカの言葉を遮って、ただ景色を眺めていた。
ムシュリカは黙ってリベリオンの話を聞く事にした。
「この悠久の大地、全てが余の物だ。
富も権利も、善悪明暗も、全て我である。
全てを掴み尽くしたのだ。 漸く全てを手に入れたのだ。」
全てを手に入れる事が出来た。
それは大いに、満足なのだろうか。
ムシュリカの疑問通り、彼は勝ち誇った言い方に何か不満足を込めているのが分かる。
「長い時を掛けた。歳もとった。
だがこの王座に居座り続けようが、上で余を見下す輩がいた!」
彼は、世界を手に入れると言う盛大な欲を達成する事ができた。
だがそれは限界に達していた。 彼の夢も、目的も消滅してしまったのである。
そのどうしようも無い心の矛先が、
「余こそ『神』なる存在だ! なのにあのアーサーでさえ余の意に反した!
何故だ!何でも望む物は与えた末の、この裏切りは!! なぜ誰もが余の意には同意しない!!」
なんて、幼稚な言い訳。
ムシュリカは口に出せない不満を、精一杯飲み込んだ。
どうやら皇帝は、クローディア達が企てている事を知っているようだった。
そして怒りも込み上げる。 ムシュリカはやっと言葉を発した。
「貴方は、・・・自分に否があるとお考えになった事は無いのですか?」
「否があるのは『皇太子』の存在そのものだ!! 皆々もあの化け物を囲いおって・・・。
だから奴を信用するなあれ程忠告したものを・・・。」
リベリオンは、可笑しく笑った。
背後のムシュリカは、増々顔を沈ました。
「皆様が、他の『魔族』の方々が納得するとは思えません。
貴方達の正体が明かされたら、陛下! 貴方だって只では済まされない筈です!」
「明かす? そんな物、とっくに・・・。」
急に月明かりが、一段と増した。
思わず、手を翳した。 太陽みたいだ。
部屋があまりに暗かった所為か眼が痛い。
朧げだった雲隠れが去り、満開の月が空に咲いた。
そして部屋全体の様子が見えた。
彼の言っていた意味がやっと理解出来たのだ。
部屋は、赤かった。
床には多くの兵士や、恐らく元老院や魔族の役人の者もいるのだろう。
とにかく多くの身体がまだらに倒れてあって、異常と分かるのは確か。
それを見て漸く気付いた鉄の様な、錆のような臭い。
なぜ今まで、気付かずに居たのだろうか。
否、気付かない振りをしていただけなのかもしれない。
部屋の臭い。 それの元はこの数多の血潮。
なぜ入ったとき、この臭いの異常さに考えを回さなかったのか。
「う・・・っ!!」
口を手で抑え、眼をひん剥く。
微かに首を横に振り、嘘か夢と信じたい衝動に陥る。
だが、ムシュリカは確かに王座に前まで歩いたのだ。
それまでこの状態だったのだ。
「陛下・・・。 国の民は貴方の事をお慕いしている人々が大勢居ります。
その人々を、 手にかけたのですか・・・?」
ましてや、同胞の『魔族』にまで。
意見の食い違いは、いつも有る事だ。
ただその当たり前のような事、分かっている筈なのに。
「真実を伝えにきた兵士に厳罰を与えただけだ。 その兵士の言葉を信じた者全員も殺さなくてはならなくなった。
彼奴も言っていたのではないか? 『犠牲は付き物』と。」
何と言う惨い事を。
その凄惨な現場は、とても見れたものではなかった。
ムシュリカは涙声を必至に抑えるように口を抑えて、眼に溜まった涙を零した。
彼らの戦争は、もう始まっているのだ。
もっとハッキリと分かっておくべきだった。
「成る程。 クローディアが気に入る訳が分かる。」
いつの間にか皇帝は、ムシュリカの背後に居た。
声を裏返した悲鳴を出し彼の元から後ずさって、ムシュリカは震える身体を必至に抑える。
「器量は悪く無い。 その上、稀有なる歌謳い。
確かに、奴の手元に置くのは惜しい。」
寒気がした。
皇帝は今、何を考えているのだ。
「陛下。 私は『皇太子付き』です。」
「奴が手放した以上。 お前は、もう彼奴の物ではないのだろう。」
彼は今、何と言った。
「『皇太子』はお前を手放した。 お前はもう『皇太子付き』では無かろう。」
クローディアが、ムシュリカを手放した。
その事実だった。
リベリオンは言葉を続けた。
「『捕虜』は雇い主が居ない以上、次の主の元に仕える。 お前達は我ら『魔族』の玩具であったではないか。」
そう、ムシュリカは今も昔も『捕虜』だ。
どうあったって、それは変わらない。
これからもこの先も、ずっと。 死ぬまで。
ただ、
「・・・私は、『皇太子付き』です!」
ムシュリカが尽くすのは、クローディアただ一人。
絶対に他の誰かの元へなど、行くものか。
彼女の意地だった。
皇帝は顔を顰めて言う。
「考えの足りぬ『人間』は『魔族』に付き従う。 お前達はそれしか能が無いではないか。
何を戯けた事を・・・。」
嘲笑っているのだろうか。
クローディアは笑わない。 絶対に表情を変えない。
何を言おうと何が起ころうとも、ただ無表情で受け流すだけだ。
皇帝は、彼と違って様々な応え方をするのだろう。
でも、それが堪らなく嫌だ。
「ムシュリカなる者。 お前もこの変革する大地の黎明を眺めたくはないか?
高き場所より眺める景色もまた、美しいものであるぞ?」
そんなもの、見なくたって良い。
そんなもの、要らない。
どんなに貴方が言ったって、私は選んだりしない。
少なくとも、こんな形で人を捨てるような貴方とだけは居たく無い。
そう心に思った時、扉が開いた。
ムシュリカが苦労した扉をあっさりと開いて、こちらに向かって歩いて来ている。
「やはり来たか、エンディオ。 待ちくたびれたぞ。」
他ならない、皇太子直下近衛隊長エンディオだった。
ムシュリカは助け舟が来たと思ったが、一瞬で直ぐその考えはしぼんだ。
彼も、国の滅亡を計る一員なのだから。
「エンディオ・・・さん。」
「お前の働きのお陰で、事態は難なく進行しておるらしいな。」
「御察しの通りです・・・。」
険しい彼の顔が緩む事は無かった。
ムシュリカの顔を見ると一層それは増して険しくなった。
「其方の剣術に勝る者は居ない。 ここの者共も直ぐに一掃出来た。
全くお前は出来た戦士だ。 お前の母があの『人間』で無ければ、もっと優遇出来たであろうに・・・。」
彼を評価し、また酷く残念そうに皇帝はエンディオを褒めちぎった。
ただそれにも彼は顔を険しくして、また悔しそうに眼を閉じた。
此所に居た者達に手をかけたのは、リベリオンに命を受けたエンディオ。
それこそ同輩や部下の者もいたであろうに、その者達と剣を交わすのは『辛い』では済まないだろう。
つくづく残酷な皇帝である。
「さて、お前がここへ来たと言う事は、全ての手配が済んだのだな。」
「ええ。 全てが揃いました。」
彼は顔を上げると、皇帝を睨みつけるようにして見た。
その視線に皇帝も笑うのを止め、眉を寄せた。
「という事は、『奴』もじきに此処へ来るか・・・。」
「御察しの通りです。 流石、直に戦場へ訪れるだけの事はある。」
エンディオは鞘から剣を抜いた。 その切っ先は、皇帝。
「貴方の思う事の通り、まだ後始末が残っているのです『陛下』。」
ムシュリカは今度こそ驚いた。
国の最高の地位ある者に、彼は刃を向けたのだから。
「残るは貴方の首だけです。」
彼の重々しい声に、皇帝は眼を細めてその剣を見つめてた。
*
「そう命じたのは彼奴だな。」
「ええ。 クローディア皇太子殿下です。」
まさか、自分のお父様の命まで・・・。
やはり陛下も殺すつもりなのか。
皇子様と陛下が敵同士だと言う事を、公に示した事になった。
「・・・巫山戯た真似を。
余に死ねだと? 堕ちる所まで堕ちた低俗が、今更何をするというのだ?」
「陛下。 口を挟みますが、これは私の意思でもあります。」
「何だと?」
皇子様の命令に従わない事も出来た。 そう言う事なのだろうか。
彼は、一族の最たる者へ牙を向くのを躊躇わなかったのか。
「ムシュリカ様。 貴方の思う通り私はこの指令、断る事も出来たのです。
ですが私はあえてそれを引き受けた。
なぜなら私も、クローディア殿下同様『皇帝』を許す心が無かったからです。」
それを言った彼の瞳には、憤怒が宿っていた。
エンディオさんもまた、陛下への異図を認めそしてそれに従うつもりなのだ。
「陛下。 苦しむ民を裏切り、戦で余興を紛らす行いは『神』とは言い難い。
何より貴方は、 此所で死すべき者だ。
この国の次代を担う者達を阻む者は、この私が粛正する。」
エンディオさんは、断言した。
陛下の命を奪うと。
彼はそれに怯まず、高らかに笑った。
「阻むか。 今も昔もこの世を統治してきたのは我ら『皇族』と言うに。
国の未来を阻む者なら、『反乱軍』や『ヨニ教』の老獪共も同じであろう。」
「そうでしょうか? 今の『ヴェーダルド』では他国の信頼も重圧も効いてはいない。
寧ろ他国は、この国を滅ぼす機会を窺っている。
なら根源となる者を切り捨てるしか方法が無いのなら、私は喜んでそれに従う。」
国を維持する為に。 残された民達を救う為に。
あえて底なしの淵に身を突っ伏す。 抜け出す事も生きる事も分からずに。
でもそれでも、貴方は本気なのですね。
この国を本当に、想っているのだから。
「リベリオン皇帝陛下。 御覚悟は宜しいか?」
彼の宣告に、対する陛下は動じずに嫌な笑いで彼に告げた。
私は寒気がした。 彼はまた、戦争を楽しむ笑みを浮かべていたからだ。
「覚悟? それはお前の方ではないのかエンディオ。
我に刃を向くなど。 本来お前に出来た事ではない。
余は、『皇帝』ぞ?」
あくまで『人間』も『獣人』も『魔族』も、皇帝には忠実だ。
たとえ悪意が有ろうと信心が無かろうと、彼の言葉に従う。
そう、今までもそうだったのだ。
これが『皇帝』の魔力。
彼と彼の言葉には従わなければならない絶対の力。 私達『捕虜』もまた然り。
彼の下に就く者全て。
「確かに、私では貴方を斬る事は不可能だ。
たとえどれ程の剣術を磨こうと、自信を持とうと貴方の前ではそれは無意味となる。
そんな事は承知なのですよ。」
なら、何しに来たの。
もしやエンディオさんは皇帝に寝返るつもりなのか。
急にとてつも無い不安が私を襲った。
「私では貴方を斬る事は出来ない。」
斬れないのならば、斬られにでも来たのですか?
今度は陛下が、腰に差してある剣を抜く。
エンディオさんは危機と言うのに眼を閉じて、大剣を捨てた。
斬られに、来たのだ。
皇子様も、それを知っていたのですか?
陛下が剣を振り上げた瞬間、私は彼の腕に飛びかかった。
「お止め下さい陛下! これ以上無益な事は・・・!!」
「放さんか! 薄汚い奴隷がっ!!」
乱暴に振り払おうとする陛下に斬られるのではないかという不安は無かった。
それよりもエンディオさんが目の前で斬られるそれが怖くて堪らなかったから。
殴ろうと叩かれようと、絶対に放すものか。
もう誰一人、貴方なんかに。
「・・・エンディオさん・・、早く此所から離れてっ!!」
必至だった。
だから振りほどけられ突き飛ばされた時、何が起こったのか分からなくなった。
上を見上げてみれば、私に向かってその剣は振り上げられていた。
「『人間』風情がぁ!!」
彼の手が振り落とされる。
それは瞼を閉じるより速く、そして何故か正確にその動きが見えた。
その時思ったのは皇子様の身と、『斬られるのだ』と思う他人事のような考え。
一瞬の間に、私の間に何か黒い物が覆い被さった。
斬られた。
手応えのあった、そんな音がした。
そう思ったが私には何の痛みも苦しみも襲ってこない。
確かに陛下に斬られた。 避ける事も、腕で翳す事も無かったので直撃した筈だ。
どうしてかと思ったら、その黒い何かは呻き声を上げている。
私の上に覆い被さったのは、他でもないエンディオさんだった。
陛下の刃をその身体をもって、彼が受け止めていた。
「エンディオさん・・・?」
何故私の前にエンディオさんが居るのであろうか。
放心していた私は床に滴る、彼の赤い血を見て我に返った。
「・・・いや・・、 エンディオさん、いやっ・・・!! ・・・何で、どうしてっ!?」
私の悲鳴が上がると、彼は崩れる様に倒れ私に伸しかかった。
彼の胸から腹部に架けての、赤く太い線。
陛下の持っている剣は相当な切れ味だったろう。
それは重厚な鎧を越し、彼の身体に届いてしまったのだ。
「陛下・・・。 私は貴方を貫く剣には成り得ない。
だが、・・・何からも守り通す盾になら成る事が出来る。」
虫の息で、彼は言葉を絞り出した。
あんな鋭い剣に斬られる所だったのだと、思い返すとゾッとする。
その時は、考える暇無くどうすれば、彼の気が少しでも楽になるのかとか、
どうやって処置しようかとか目の前の事で精一杯だった。
再び、陛下が私を斬ろうとしている事も忘れて。
「・・・あんまりです。 あんまりです、陛下・・・。」
何が楽しくて、彼は戦争など起こすのだろうか。
彼は本当に国を思ってこんな事をしているのだろうか。
でも、そのために斬られなければならないなんて、 おかしいじゃないですかエンディオさん。
死んでしまったら、どうにもならないのに。
力無く、私はエンディオさんを庇う様にして首を回して抱きしめた。
そんな事で、陛下の斬撃から回避出来ると言う訳でも無いのに。
「お前もすっかり彼奴に毒されたようだな。 『皇太子付き』のムシュリカ。」
その笑いは、実に嬉しそうだった。
まるで子供が玩具で楽しんでいるかのような、そう言った類いの。
怖いとしか、言葉に表せない。 記憶に残る、衝撃的な笑みだった。
「ではさらばだ。 愚かな一人の人間よ。」
悔しいな。 私は『人間』だからこんな時でも何も出来やしない。
本当に死を覚悟すべきだった。
私が本当に命の危機にあった時。
彼の言葉を遮るかの様に、扉の方から複数の足跡が聞こえた。
二つの不規則な音。
それが陛下の動きを止めたものだったのだ。
今度こそ助け舟とばかりに、私は振り返った。
月明かりがまだ照っているお陰で、直ぐに誰かか分かる事が出来た。
その正体に私は今度こそ眼を開いた。
二人の男と女。
どちらも顔見知りの者。
女の方が、鳥の『獣人』であり同僚であったヴァシュク。
男の方は、今し方つくしていた漆黒の皇太子様。
皇子様は私を一瞥すると、ほんの少しだけ眼を開いて視線を陛下へ移した。
陛下の言う様に、皇子様が私を手放したのは本当なのだと悟った。
何故この異色の、顔も合わせた事も無いような二人が揃って此所に居るの?
何故、陛下の命を狙う皇子様がこの場所に来ているの?
エンディオさんを抱える私は、その中でも理由を求めた。
ヴァシュクが口を開いた。
「やはり・・・。 貴方では荷が重すぎたようねエンディオ・・・。」
哀れむような、同情するような小さな声だった。
それが聞こえたのだろうか、悔しそうにエンディオさんは歯ぎしりをした。
そう言いながらも、ヴァシュクは彼の傷口を応急処置し始めた。
私はヴァシュクが手際よく手当をしている中、皇子様と陛下を見比べていた。
似ていない二人だ。 皇子様は養子というのだから当たり前なのだろう。
ただ、この雰囲気は親子のような温かな物では無い。
例えるなら憎み合っている者同士の、決闘のような緊張感。
「この場で騒ぎを起こし、只で済むと思うのか?」
皇子様の凍てついた声が部屋に響いた。
剣を構えた陛下は、今度はそれを皇子様へ向けた。
帝国の英雄に手をかけた。
それだけでも陛下の名に傷が残る上、この先再度王位につけるか危うくなる。
もしや、皇子様はそれを図ってエンディオさんに命じたのであろうか。
急に皇子様が恐ろしくなった。
「老い耄れ・・・戯れ言を言いに来たのか?」
「大まかな事はエンディオから聞いているだろう? 俺自ら足を運んだ意味が。」
彼の目的。 それは、陛下の抹殺。
御父上のお命を、貴方は本当に・・・。
私は嘘だと思う様に、何度も思い返した。 彼はそんな、親の命を奪うような者ではないと。
陛下の肩が震えていた。 彼は恐れているのだ。
「知らぬな。 お前から命を奪うに値する事など余は、」
「していないとは言わせん。 貴様は弄び過ぎた。」
この凄惨な現場が、何よりの証拠。
陛下は思いもよらなかったのだろう。 まさか敵意の刃が『自分』を含めた『国民』とは。
しかし彼もしぶとかった。
「お前如きに終わる余ではない!
今までお前を匿ってやったではないか!
お前を擁護し、情報も隠し隔絶させた! お前もまたヴェーダルド繁栄を担った者であろう!!?
その恩を忘れたか、クローディア!!」
息子の名を、血族の名を彼は言った。
しかし皇子様もまた冷たかった。
「担う? こんな腐りきった国を誰が繁栄すると?
腐った国は腐ったまま、変化も進化も得られぬままなのだリベリオン。
無能な貴様自身が欲望で腐り果てている様にな。」
「余は終わらん! 余を見下すもの全てに制裁を!!」
もしや、唯一陛下に対抗出来うるのは皇子様ただ一人なのだろうか?
だから彼はこんなに恐れているのか?
「まだ分からんのか?
貴様の王朝の幕は降りている。 『魔族』の時代は終わったのだリベリオン。
死にたく無ければさっさと王座を捨て、二度と世界の眼に晒さぬ事だ。」
「まだだ! 必ず『ラクシュミュト』を・・・跪かせるのだ! 余は、諦めん!!」
先程から二人のやり取りを見て分かった。 皇子様なりに説得していたのだろう。
だがそれも陛下は聞き入れようとはしなかった。
彼は陛下へ、最後の手段を行使した。
「なら、 こうするしか有るまい。」
皇子様は傍らに倒れているエンディオさんの剣を拾い上げて、陛下に向けた。
勇ましかった。
何故かそれが皇子様の真のお姿のようで。
皇子様の無感動な瞳に、静かな焔が灯っている様に見えた。
「リベリオン。 貴様を殺す。
ヴェーダルドの繁栄を臨むのなら、それが貴様の本望であろう。」
陛下は厳格な顔にいっぱい怒りを溜めていた。
皇子様に虚仮にされている。 そう思っているのだろう。
だが皇子様の言う通り、繁栄を臨んでいるのは他でもない。 この小さな皇帝なのだ。
ヴァシュクが、私とエンディオさんを二人から遠ざけて
彼女もまた皇子様の隣、皇帝陛下に向かって短剣を構えたのだ。
私は陛下の命が、段々と消え行く様が見えているような気がした。
了