「蟲と揺リ籠」




    著:華宵






   芸術家と言う者達は、総じて狂気に取り憑かれているそうだ。
   自分の想いが絶対的なものを創り上げるのだから、エゴイズムの塊と言っても良い。

   一つの想いに固執して、それが純粋に凝り固まった物を『作品』という。
   更に昇華され、歪んだ形になった物は『芸術品』になる。

   彼らは『感情』の扱い手だ。
   だから他人に理解されず、理解出来たとしても相容れられない。
   作り出せるのは自分一人の世界の物だから。

   生まれるなら『人間』の方が良いのだろう。
   人間はとても冷酷だ。 『感情』に魅力を持ちながら否定する。 正に生きた芸術品だ。
   作る側の『芸術家』は、人間以外の者だと定義する。


   僕もまた、その一人だ。

   心内に眠る気味の悪い『何か』に取り憑かれて、一心不乱に描き殴り続ける狂人。
   未知を知ろうとせず、理解者もいない。
   周りから『孤独』と見られている、人間の成り損ないだ。

  「これも違う。」

   嗚呼、脳の中で何かが這いずり回っているかのようだ。
   否、今の言葉で更にそれは悪化した。
   本能がのたうち回っている。

   自己嫌悪して、幼稚に自身を傷つけて、生み出せない自分に罰を与えているのだ。

   僕が心の底から望んでいるものが、殻に篭っている。
   だからこそ無理矢理出そうと思っているのに、どこにあるのかもう一方の心は其れを拒んでいる。
   本心が臆病なのだ。

   こう言っている。
   『こんな物を曝け出して恥ずかしくないのか。』
   『半端な物をこの世に生み出すなど、それは今までの作品への冒涜だ。』

   痛めつけるしか方法を知らない。
   それしかないのだ。 臆病な心は力ずくでも抵抗する。
   自分自身の事であるのに厄介だ。



  「まだ、出来ないんだ。」

   僕に興味を持ちながら、僕を貶し否定する者。
   それが『友人』だ。
   どうか君は『理解者』になってしまわないよう気をおつけ。

  「どれだけ待ったら、『芸術品』を見せてくれるの?」

   いつか僕が初めて作り上げた『芸術品』を君に一番に見せよう。 と形の無い約束を彼女とした。
   僕の『感情』が半端な所為か、幾星霜の月日も待たせ続けている。
   それに焦りも罪悪感も湧かないのは、芸術家たる所以だろう。
   『感情』は時として何十年も待たなければ生まれないものもある。

   時間にケチをつけてくるのは『人間』だ。
   待ち続けるのが『好事家』である。

   物好きな連中は何の理由があるのか、僕らの作品群に価値を取り付ける。
   生み出した『感情』は、それが形になって体現される。
   価値はないのだ、他人が見たって理解出来ないのだから。
   だのにそれらはピンからキリまでの値がつけられる。

   僕は鑑定士というのを信用しない。
   理由は『芸術家』としての性と、自分以上に傲慢ちきな奴は『嫌い』の部類なのだと科しているからだ。
   そんなやつらは評論家か、犯罪識者にでもなってればいい。
   僕らの『感情』を適当な『定規』で定義しないで欲しい。

  「足りないんだ。 『あれ』が足りないんだ。」

   そう答え、追い出そうと思ったが、彼女が出て行く気配はなかった。
   もう諦めた。
   少なくとも今日は完成しないという事を思い知らして帰らせようと、後ろ向きな意思がそう告げた。
   僕は再び絵筆をとった。

   さあ今度はウルトラマリンだ。
   暗澹とした海を表すなら、この色は欠かせない。

   僕はパレットの反面に群青色の涙を落とした。
   水とは違う柔らかさを持つ『絵の具』と言うものは、半端な今の僕そのものだ。
   単純で荒々しくて、幼稚を体現しているかの様で美しい。
   『未完成』の完成形だ。

   ただ、僕のは余りにも過程系すぎる。
   完成させようと言う気が起こらないのも原因の一つだろう。
   だが決定的な理由は思い当たるのだ。

   それを彼女の前で言いたくなかった。
   理解されなくても良いと思ってはいるが、嫌われたくはないから。


  「何か、持って来ようか?」

   僕の筆が進まないのを見て、彼女が気を使っているようだった。
   別に苛々している訳でも、疲れてきた訳でもない。
   でも此所から動かずに何かを得られるなら、それはそれで得だ。

  「なら、コーヒーで。」

   ガムシロップとミルクをタップリ入れた奴を、 砂糖水の様な甘ったるい物を。
   足を引きずりながら彼女がアトリエから出て行くと、僕は絵を別の段階へ描く事に決めた。




   自分で言うのも可笑しな話だが、僕は『変態』だと確信している。
   僕が描きたい絵は『感情』と言うものより、より現実的で実態感のある『歪んだ物』だ。

   それは全身に神経が張り巡らされている事により実感出来るもの。
   麻痺もすれば腐りもし、切れる事もあれば場所によって言葉も意味も変わる。


   僕が求めているのは『疼痛』、 つまりは『痛覚』だ。


   筋肉の働きや細胞の生死よりもリアルで、『実体』は無いが『実感』は出来る。
   『痛み』ほど、歪んでいて醜くて尊いものはないだろう。
   『感情』を問わずに、『それ』は様々なところで信号を送る厄介者だ。 僕はそれに魅入られた。
   『人間』がこの愚かで気紛れな『痛覚』に縋って生きているのが面白いと感じている。

   『人間』の成り損ないである僕は、『痛覚』を『感情』の成り損ないと説く。
   物事には意味があるのだからそう決定付けるのは悪い気もするが、『痛み』は確実に『感情』にも偏る所がある。
   『痛覚』は『感情』と『現実』に位置するものだ。

   そうだというのなら僕ら生きている者達は、それから逃げられない囚人である。
   『人間』は『痛覚』の籠そのものだ。
   『痛み』は、『人間』と『芸術家』が様々なものを得る為に負う誓約だろう。

   その表れを僕は何年も費やしているのだが、未だ描こうと思っても描けないのだ。
   『感情』というのにも実体を表さないものなのだから。
   身近にあるのにも関わらず、僕はそれと殆ど縁がない。


  「早めに済ませてしまおう。」   

   一人呟いて、椅子から腰を上げた。
   隣の部屋へと行く事にしよう。

   彼女も当分は帰っては来まい。
   どうせコーヒーだけと言っておきながら、序でに外へ出て菓子も買いに行くのだろう。
   此所へ帰ってくる前に、


   体感しておかなければ。



   *



   僕だけの、部屋だ。

   辺りにあるは、虫籠。
   中に居るのは赤子程の大きさの虫。
   葉緑色の幼虫の様な、生まれたばかりの様な艶やかさを残す肉塊。

   『それ』は、何も食べなければ何も言わない、寝もしなければ枝も土も不要な奴だ。

   それだけではない。
   周りに散らばる山のように積み上げられた、部屋一面に敷き詰められた虫籠の中にも
   虫虫虫だらけの緑の山。

   緩慢に動く其れ達は、みんな目の前にある巨大な幼虫から生まれた物であった。


   『それ』は、随分昔に拾ったものだった。
   何処で拾ったのは憶えてない。
   珍しい色をしたそれは、一瞬で僕の目に留まって魅了したのだ。
   家に持ち帰って、何をするでなく僕は只『籠』に入れてみた。

   餌も寝床の葉も作らず、それをただ『眺める』。
   僕はそれだけに執着して、何年も其れを見続けた。
   それがとても楽しかった。

   『それ』とは勿論のこと、友達でもなんでもなかった。
   僕は『それ』を拾っただけで、『それ』はその場に留まるだけだった。
   そんな淡白な間柄なんだ。


   でもそれはいつの間にか、気持ち悪い位大きくなった。
   餌をあたえずとも、そいつは生きていた。
   何処と分からない顔や脚を動かしながら、狭い虫籠の中で足掻くだけだったのに。

   土を踏まず食べる事に執着しないそれは、仲間が居ないのに自らの分身を産んでいった。
   毎回少しずつ、爪を立てると割れそうな卵を数個。 それも不規則な期間に。
   孵化したのが周りに居る子供達だ。
   多すぎるため引き取ってもらおうとも、友人は虫嫌いの者が多かったため自分でどうにかするしか無かった。

   だが僕は専ら、親玉である『それ』に執着した。
   生き物と形容し難い『それ』が、堪らなく好きだから。


  「うんともすんとも、言わねぇ。」

   まあいつも通りの反応だった。
   





   閉じ込められた創造の中では『神』だ。
   ただ現実の前ではあまりにも惰弱で脆いものなのだけれど。
   コイツ等も僕と同類だ。


   ただ、形のない『感情』が酷く醜く思えるのだ。
   そんな曖昧とした、『漠然』としたものが美しいと言えるのだろうかと。

   僕は『形』が欲しかった。
   目に見える何かが欲しいんだ。
   それこそ人の求める、美しさや尊さではないのだろうか。
   そうじゃないか、だってそうじゃないか。


   どこの誰が自然が、森が山が美しいなんて言ったんだ?
   目に見える外観が綺麗だから、守るべきだと言っただけじゃないか。
   愛が素晴らしいなんて誰が決めた?
   無いより有った方が良いからじゃないのか。


   僕は、そんな不確かな物  絶対に『美しい』なんて思えないのだ。



  「お前達は気侭で良いよ。」

   人間のように醜い中身なんて持ってないんだから。
   理性なんてない、本能がまま生きているんだから。
   居候させてやってるんだから、中身に付き合わなきゃならないコッチの身になってくれよ。

   その『親』の顔のあたりと睨めっこしながら、僕は不思議な感覚に包まれた。
   そう、これだ。
   いつもの『これ』が欲しくて、僕はコイツを飼っているのだ。





   ハッとして意識を取り戻すと、それは真っ暗な部屋だった。
   否、黒い部屋と言った方が正しいのかもしれない。
   『暗い』と表現するのなら、僕は僕自身も見えない筈だし、この空間が狭いと感じもしないからだ。

   目に見えて分かる。
   僕の姿は確かに見える。
   一見ただっ広いと勘違いする周りは、実は黒い壁に仕切られた小さな部屋だ。

   そして決まって、その部屋に椅子がぽつんと置かれてある。
   僕は椅子に座って、ただじっとするのだ。


   こうして待っていると、ほら 段々と何かが近づいてくる気配がして来た。
   丸で光へ近づかんとする蛾や羽虫のように、四方八方から僕に目掛けて喰いにくる。
   始めは怖かった。 けれどそれは次第に薄れていった。
   それが至上の快楽と思うようになって、到達したのだと感じだ。

   貪りにやってくる奴らにとって、僕は電柱に設置された蛍光灯の様な奴なのだろう。
   まあ喰ってくれりゃ良いのだ。 普段こんな壮絶な痛みは味わえまい。


   ただ不思議なのが、この空間は何も響かないのだ。
   僕が試しに大声を出しても叫んでも、それは谺を封じているようで、真空の様な空間に大きな音も響かない。
   確か無響の部屋を味わった事があったが、此処は其処と似ていた。
   もしや虫の繭の中も、こんな空間なのだろうか。
   だとしたら奴らが余計に羨ましい。
   奴らも身体を何かに蝕まれている、そんな夢を何時も見ているのなら尚良い。


   まず一匹の蛭らしき虫が、僕の首へ食いついた。
   二匹三匹と、もっと多い数が僕の掣肘、手の甲、様々な所へ牙を立てて血を飲み干していく。
   脳がスウッと目眩と眠気を伝えるが、此処で眠ってしまったら『痛み』を知る事が出来なくなる。
   眠気を覚ますように、神経と筋肉に力を込めた。

   今度は別の、もっと大きな虫が脚や腕から徐々に食べていく。
   身体の終着点と分かったら、爪と肉、骨を食べると甲へと少しずつだが食べていく食べていく。
   別の方向からは頭だ。
   頭部の皮膚を食べ尽くすと、今度は頭蓋へ歯を忍ばせる。
   頭蓋を食べたら中身の脳を食べ始める。

   音が響かない所為でハッキリと聞こえないが、脳が食べ始められて初めて気付くのだ。
   じゅくじゅくとした音によって、僕が食べられている事に。
   その時の心地良さは最高だ。

   脳髄まで喰われてしまうと、後の意識は支離滅裂になる。   
   『痛み』は確かなのだろうが、脳がそういう信号を送れなくなるのだ。
   つまり最終的には『痛み』も分からなくなる。
   ただ、そこまで到達するのに、僕は何回もこの状態にならなければならない。

   次第に外殻の『痛み』は通過点と思うようになって来た。
   だからこれからなのだ。 ここでの至高の瞬間は。


   さあ目を閉じて痛みを改めて体感してみよう。
   真っ暗だ。 部屋が元々黒かったため、大して変わらない気もする。
   只違うのは何も見えなくなったという事だ。

   ここから人間という物は『恐怖』を憶えるようになる。
   だが数回も繰り返してくると段々と飽きてくるのだ。
   僕は恐怖どころか、飽きも感じなくなった。
   『当然』と思うようになったのは病的だな、と自分自身そう思う。

   埋め尽くされていく。
   痛み、虫、 痛覚、昆虫、 鈍痛、幼蟲、 そして激痛、蠢動。


   それらこそが、美しさを表す欠片。
   僕だけの『痛み』。
   嗚呼、僕の中身が  痛みと虫で詰め込まれていく。
   虫で詰まれた麻袋のように、僕の体は虫で蔓延っている。
   僕は、『虫の巣』だ。

   幼虫共の揺り籠だ。



   *



   白昼夢の様な一時を過ごして、僕は現世へと帰ってきた。
   時間も状態も、然程経過してないこの世界に戻ってしまった。

   何て事だ。
   僕はまた十分に体感出来なかった。
   これじゃあまた僕の作った物は失敗作だ。

   渋々ともとのアトリエへと戻っていった。
   ここはいい。 ここも虫の繭の中のようだ。
   自らの思想と感情の坩堝、秩序も法律も無い、自身が絶対の裏切らない空間。
   でもあの黒の部屋がずっといい。

   至高の芸術品達だ。
   生きた醜さ、死んだ美しさ、全てを収容した美術館。
   僕だけの世界だ。

   足繁く通うこのスペースでやる事は只一つ、 物を作る事だ。
   僕が先程の世界で体感した物を、今直ぐに此処で表さなければ。
   それが僕が出来る唯一の事なのだから。

   出来る事なら、ずっとあの世界に留まりたい。
   だがどうする事も出来まい。
   なぜなら僕は虫でないのだから。

   否、僕は人間じゃないんだ。
   僕は『芸術家』擬きだ。

   動いていた絵筆が止まる。
   焦燥感にかられる息は段々とテンポが速くなる。


   僕は何で、こんな事に気がつかなかったのだ?

   嗚呼、何故僕は虫でなかったのだ?
   何故こんな醜悪な世界に戻ってきてしまった?
   痛みを常に感じ得られないこんな世界に、どうしてまだ留まっているのだ?

   突如、とてつもない後悔に嘖まされる。
   もっと早く気付けばよかった。
   どうして未だこんな世界で『美』を磨いているのだ。
   所詮絵で描く物も、自らの創造を100%出し切った物ではないのだろうに。
   自らの手で描く事でさえ、未完成しか生み出さないのに。

   何を迷っている暇があるのだ。



   絵の片付けに取りかかると、彼女が戻ってきた音がした。
   扉から伝わる廊下の軋み、ドアの音、物音。
   買ってきたのは甘いビスケットだろうか。 彼女が買う物はいつも決まってそれだ。
   僕の空間に彼女が侵入する。



   今までに無かった欲深な想いが破裂した。

   なんで僕の世界に彼女が介入してくるのだ?
   彼女は僕の世界を壊してしまうのか?

   この作品達も否定されて、
   隣の部屋も否定されて、
   虫達は殺されてしまって、

   僕も『痛み』も否定されてしまうのだろうか。


   嫌だ。
   嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

   僕は絶対に嫌だ。



   あんな奴に否定されるくらいなら 僕は、



   *



   馬鹿だ。
   お前はただの馬鹿だ。


   私が『絵描き』を見つけた時、アイツは既に虫の息だった。
   発見が早かったお陰が功を為したのか、しばらくすれば意識も取り戻すと聞いた。
   全く、呼吸困難になるまで絵を描く奴が居るのか。
   ほとほと『芸術家』の奴らは変人ばかりらしい。

   ただアイツの場合は私が追いつめた所為も或るので、仕方ないのだろう。
   絵を描くよう強要したのは、他ならない私なのだから。


   救急車で緊急搬送した後、家族の人が同伴で行ってしまったので、私はアトリエへと向かった。
   しばらくアイツからは絵を避けるべきだ。
   でなければ血が出るまで鉛筆を握らせ続けたり、また呼吸を忘れるなんて事もあり得る。
   うん、スケッチブックもHB鉛筆も練りケシも、全部全部隠しておこう。
   絵を描く前に健康でなくては困るのだ。 その時に死ぬ何てもっての他だ。

   部屋に入ると、異様な空気が流れた。
   アイツの部屋は少し異質だった。
   それはそうだ。

   なぜなら、アイツの隣の部屋も異常だったんだ。
   アイツは何故か、物置き場でもある隣部屋へと足を踏み入れてみれば直ぐに分かる。


   アイツの隣の部屋だ。
   自分に足りない物を補う為の部屋だと不思議な事を言っていたが、そんな部屋じゃない。
   正に『勝ち取る為の部屋』。 そう形容した方が正しいのだろう。
   『足りない物』と言うよりも、『渇望した物』が適している。
   とにかく隣の部屋はそう言った物が充満している。 そんな部屋だった。



   だって、   虫虫虫の死骸ばかりだったんだから。(中には干涸びて木乃伊になった奴もあった。)
   虫を籠に閉じ込めて、その後何もしないのだ。

   馬鹿だな。
   掴まる為の枝や喰うため葉も無しで一体どうやって生きると言うんだ。
   何も無い籠の中では死んでしまう。
   何かをしていなければ、死んでしまうのだ。
   それさえ分からなかったのか。

   何だか悲しくなる。
   私の友人は『痛覚』に関して玄人の意識を持っても、『生死』に関してはかなり幼い意識しか持ってなかったんだ。
   何もしなければ死なないなんて事、あるか。


   その部屋も片付けようと仕方なく近くの虫かごを手に取った時、私は或る事を思い出す。



   ただ不思議なのがどうしても一つあるのだ。
   丁度扉を開けて中央にあった、とても大きな虫籠なのだ。
   何故か周りの損雑な扱いとは違ってかなり重宝して見える。 彼はこれだけは丁寧に扱ってあったようだった。

   一体何が他と違うのかって、それだけには虫は居なかった。
   それどころか丸で御神体を奉るかのように籠の周りに花や果物が供えてあり、
   荒れに荒れた状態で、籠も籠も破られてあったのだ。

   本当に何かを飼っていたのではないのだろうか。
   否、アイツは一体何を飼っていたのだろうか。



   一番不気味だったのは、その籠に『居た物』が籠から扉まで辿った軌跡がハッキリと分かるのだ。
   なぜなら大きな籠にはネバネバした粘液が付着してあって、それは引き摺るようにして外のアトリエにまで続いてあったから。
   まるで今さっきまでここに居たように、しっかりと痕跡を残して。





   了